龍神山北峰の山麓、国史「村上神」、龍門・君門の穴と清水
佐志能神社 茨城県石岡市村上494
[住所]茨城県石岡市村上494
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佐志能神社(さしのじんじゃ)は、茨城県石岡市村上にある神社。村上佐志能神社とも。現在は市内の金刀比羅神社が兼務しており、御朱印も金刀比羅神社で頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 新治郡「佐志能神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。

創祀年代は不詳。一説に、村上村から染谷村が分村する際に当社が新しく創建されたという。

しかし、染谷の同名神社、いわゆる染谷社では、当社と染谷社で一対の神社と位置付けている。

染谷社が龍神山(竜神山)の南峰の山腹、標高約85メートルの地に鎮座するのに対して、当社は、北峰の山麓北峰の山麓、標高約70メートルの地に鎮座する。

当社の別称は、男龍(おたつ)。染谷社を女龍と称したともいう。染谷社が高龗神を祀るのに対して、当社は闇龗神を祀る。

他に、当社では日本武尊を祀る。『日本三代実録』にある「村上神」を当社に比定する説があり、国史見在社。他の候補は、染谷社。

鎮座地が村上村であったため、当社は古くから、村上神社と呼ばれていた。また、龍神社とも。明治16年(1883年)4月に現社号に改称した。

龍門・君門の二つの穴があり、甚だ深くて底が分からないという。これより清水が湧出し、村上の人々の飲料水や灌漑用水になったといわれている。

往時は遠方からもこの清水を汲みに来る人がいたという。境内に「御神水」の碑があり、今も少量ながら水が湧出している。

社殿左手には鳥居があり、神社後方に広がる龍神山へと繋がっている。道すらない道だが、登っていくと小祠があり、それが当社の奥宮だという。

なお、式内社「佐志能神社」の論社は先の染谷社の他に、笠間市笠間市内柿岡に当社および式内同名神社がある。

また、当社は、式内社「羽梨山神社」の候補になる場合がある。式内社「羽梨山神社」は一般的に笠間市上郷の式内同名神社に比定されているが、異説がある。

『神祇志料』によると、『大同類聚方』に「茨城郡拜師里 羽梨山之神社」と記されており、当社と染谷社が一対で式内社「羽梨山神社」に相当する、という。

【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、健康長寿、交通安全
佐志能神社 茨城県石岡市村上
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