佐白山山頂の笠間城跡、三白権現、僧兵の争いにちなむ大黒石
[住所]茨城県笠間市笠間3613
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佐志能神社(さしのうじんじゃ)は、茨城県笠間市笠間、標高182.1メートルの佐白山山頂の笠間城跡にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 新治郡「佐志能神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

佐白山は「三白山」「佐城山」「佐志能山」とも表記し、城址であることから「お城山」という通称もある。

『新編常陸国誌』には、新治郡と那賀郡の郡境に位置する「大山」として描かれている。『新撰姓氏録』に「佐自怒公、豊城入彦命四世孫大荒田別命之後也」とある。

創祀・創建年代は不詳。豊城入彦命を奉斎した社と考えられている。別に、白雉年間(650年-654年)には佐白山には祠宇と伽藍があったという。

佐白山に祀られていた稲荷社が胡桃樹下に遷座し、胡桃下稲荷になったという。これが現在の笠間稲荷神社ともされる。

佐白山正福寺の開基は、白雉2年(651年)と伝えられている。当時は三白山三白寺と呼ばれ、山頂に伽藍があったという。

当社は当初、佐白山(佐志能山)山頂に鎮座していたが、鎌倉時代の建長年間(1249年-1256年)、藤原時朝による笠間城築城により、下市毛字田宿(黒袴)に遷座したという。

これよりも前、鎌倉時代の初め、佐白山の僧兵と、七会の徳蔵寺の僧兵が勢力を争って戦った。

佐白山の僧兵は戦いに敗れて佐白山頂近くまで逃げのび、山上にあった大黒石をころがした。

徳蔵寺の僧兵は、ころげ落ちる大黒石の下じきになり多くの死者が出たため、佐白山の僧兵はあやうく難をのがれることができた。

その大黒石が現在も残る。この大黒石の中ほどに小穴があり、大黒のおへそといわれ、このへそに小石を三度続けて投げ、そのうち一つでも入れば幸せになると伝わる。

一説に、時朝築城以前、山中に六座の神が鎮座していたが、時朝入城後、一旦廃れ、その後、六社権現として再興されたという。

この六社権現のうち、特に古い由緒を持つ阿武・黒袴・小聖の三社は一祠に祀られ、佐白三所大明神と称されたという。三白権現とも。

現在までに御祭神は豊城入彦命の他、建御雷之神大国主命を併せて祀る。例祭は11月16日。その他、2月15日の祈年祭、4月22日の臨時祭がある。

明治5年(1872年)、笠間城廃城に伴い、旧社地に戻され、明治6年(1873年)には村社に列し、明治8年(1875年)、下記5社を合祀、相殿に祀る。

八幡神社(品陀和気命)、城山稲荷神社(宇迦御魂命)、伊都伎島神社(市杵志麻比売命)、迦遇突智神社(迦具土命)、出世稲荷神社(宇迦御魂命)。

境内社に、神明社(大日孁尊)、鹿島神社(武甕槌命)、八坂神社(須佐之男命)、熊野神社(櫛御気野命)、伊都伎島神社(市杵志麻比売命)がある。

なお、式内社「佐志能神社」の論社は他に、いずれも石岡市で、染谷柿岡村上に当社および式内同名神社がある。

ただし、石岡市は旧茨城郡であり、新治郡としては当社が唯一であり、当社が最有力とされる。

【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄、武運長久・勝運
佐志能神社 茨城県笠間市笠間
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