源義経が創建、秀吉が大坂城鬼門守護に、1月大宮えびす祭
[住所]大阪府大阪市旭区大宮3-1-37
[電話]06-6951-2196

大宮神社(おおみやじんじゃ)は、大阪府大阪市旭区大宮にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代末期の文治元年(1185年)2月、源義経が平家追討の際、当地に立ち寄り、宇佐八幡の神の霊夢を見て目覚めたところ、一樹の梅の古木に霊鏡がかけられていた。

義経は我に神助ありと、その鏡を奉じて平家を打ち滅ぼし、このことを後鳥羽天皇に奏上して神社建立を許され創建、大宮八幡宮と称したという。

主祭神は、応神天皇神功皇后・姫大神。『摂津誌』には「南島神社」と記されている。

境内には現在も影向梅(えこうばい)がある。霊鏡の掛かっていた伝わる御神木。枯木となり久しく、現在はその根幹を残すのみとなっている。

安土桃山時代の天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築くにあたって、当社を鬼門守護神と崇めた。

社殿・末社の建立や神域の整備が手がけられ、毎年正・5・9月に幣帛を献じ、祭祀されたという。

当時の社殿は広壮で、境内は3ヘクタールあり、南は京街道(現在の内代町)に一の鳥居があり、そこから神社まで続く参道には両側に松並木が続いていた。

境内には樹木がうっそうと茂り、四周に清らかな流れがひかれていたという。特に朱の社殿、朱の橋が社の緑に映える姿は、荘厳この上もなかったと伝えられる。

江戸時代になっても、大阪城の鬼門守護神としての信仰は厚く、大阪城代交代時には当社への参拝が行われ、毎年正月には初穂料を、また5・9月には大幣を献納して祈願した。

社殿などは年を追って衰微したが、天明(1781年-1789年)・寛政(1789年-1801年)の時代に、祠官廣渕肥後守善直が復旧に努め、その功により従五位下を授けられた。

以前は本殿北側に小山があり、沢山の椿が見事に咲き乱れ、昼間でも狐が寝そべっているというのどかな風景だったと伝えられる。

明治初年の京街道改修により小山は取り崩され、現在は大宮中公園として地域の憩いの場となっている。

明治末期に近隣7社を合祀し、明治45年(1912年)4月に現社号に改称した。合祀した神社の中に十五神社があるが、戦後復社した。現在の淀川神社である。

現在までに、大国主命事代主神速素盞男神二座・十五社大神・応神天皇二座・菅原道真公を併せて祀る。

さらに相殿には、鬼門守護社(鬼門守護大神)、天御中主社(天御中主神二座)、天満神社(菅原道真公)、稲荷神社(宇迦之御魂神)を祀る。

例祭は10月26日。10月第4土・日曜日が秋祭り。7月第4土・日曜日には夏祭がある。1月9日-11日は十日戎の戎祭、いわゆる大宮えびす祭。

夏祭、秋祭の他、正月1月3日、4月15日の春祭で献湯神事が行われる。笹によってふりまかれる湯をあびて祓いを受け、無病息災を祈る。

社殿前の大きなもちの古木は「いぼ大神」と呼ばれ、木肌と自分の肌を交互に撫でて祈願すると、あらゆる病気に霊効があるといわれ、遠方からの参拝者も多い。

境内社に、稲荷社(宇迦之御魂神)、高良社(高良大神)、若宮八幡宮(仁徳天皇)、北斗社(北斗大神)、楠社、春日社(春日大神住吉大神・廣渕善直命)、いぼ大神社、行者社(役小角命)がある。

また、遥拝所がある。

【ご利益】
方除け、厄災除け、家内安全、商売繁盛(公式HP
大宮神社 大阪府大阪市旭区大宮
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