行幸で休息した地に大伴氏が天武天皇を奉斎、10月にだんじり祭り
[住所]大阪府大阪市生野区小路2-24-35
[電話]06-6752-4126
清見原神社(きよみはらじんじゃ)は、大阪府大阪市生野区小路にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
水害により社記などが流失したため、創建の詳細は不詳。口伝によれば、天武天皇が大和の飛鳥浄御原宮から難波に行幸した際に現在の当社鎮座地で休憩したという。
当時、当地は高地で、樹木が鬱蒼と茂り、見晴らしがよく、住の江の海(今の住吉)に浮かぶ白帆が見え、憩うには格好の場所だったという。
この時、天武天皇が壬申の乱で縁が深くなった吉野の方をかえり見たことから、附近の地名「吉野見」が生まれた。
天武天皇の崩御(686年)後、一帯を本拠としていた大伴氏が天武天皇を祀る神社を創建し、天武天皇宮と称したのが当社の始まり。
以降、旧大友村の氏神として崇敬された。天武天皇を御祭神とする神社は全国でも非常に珍しい。
安土桃山時代の慶長2年(1597年)の検地帳には2反4畝強とある。江戸時代中期の明和5年(1766年)には1反減少した。
明治5年(1872年)、清見原宮に改称した。明治42年(1909年)、下記の神社を村の中心部で学校もある旧大友村の当社に合祀、村名をとって小路神社に改称した。
小路村内にある旧片江村の素盞嗚尊神社(素盞嗚尊)、旧中川村の松尾神社(大山咋命)、旧腹見村の木守勝手神社(天水分神・国水分神)、旧大瀬村の八劔神社(神素盞嗚尊)。
昭和17年(1942年)、皇紀2600年記念事業として、境内拡張、社殿の増改築が行われ、この際に現社号に改称した。
例祭は10月15日・16日で、元例大祭。だんじり(地車)の曳行がある。7月31日に夏祭がある。9月9日が重陽祭で、天武天皇祭。
境内社に春高稲荷社(宇賀御魂神・大宮売神・猿田彦神)がある。もとは片江素盞嗚尊神社の境内社で、合祀とともに当社境内に移された。
この春高稲荷社は、東大阪でも極めて古い稲荷として知られているという。境内には他に、祖霊殿がある。
【ご利益】
平穏安寧、事業成功、産業振興、厄災除け(公式HP)

【関連記事】
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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清見原神社(きよみはらじんじゃ)は、大阪府大阪市生野区小路にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
水害により社記などが流失したため、創建の詳細は不詳。口伝によれば、天武天皇が大和の飛鳥浄御原宮から難波に行幸した際に現在の当社鎮座地で休憩したという。
当時、当地は高地で、樹木が鬱蒼と茂り、見晴らしがよく、住の江の海(今の住吉)に浮かぶ白帆が見え、憩うには格好の場所だったという。
この時、天武天皇が壬申の乱で縁が深くなった吉野の方をかえり見たことから、附近の地名「吉野見」が生まれた。
天武天皇の崩御(686年)後、一帯を本拠としていた大伴氏が天武天皇を祀る神社を創建し、天武天皇宮と称したのが当社の始まり。
以降、旧大友村の氏神として崇敬された。天武天皇を御祭神とする神社は全国でも非常に珍しい。
安土桃山時代の慶長2年(1597年)の検地帳には2反4畝強とある。江戸時代中期の明和5年(1766年)には1反減少した。
明治5年(1872年)、清見原宮に改称した。明治42年(1909年)、下記の神社を村の中心部で学校もある旧大友村の当社に合祀、村名をとって小路神社に改称した。
小路村内にある旧片江村の素盞嗚尊神社(素盞嗚尊)、旧中川村の松尾神社(大山咋命)、旧腹見村の木守勝手神社(天水分神・国水分神)、旧大瀬村の八劔神社(神素盞嗚尊)。
昭和17年(1942年)、皇紀2600年記念事業として、境内拡張、社殿の増改築が行われ、この際に現社号に改称した。
例祭は10月15日・16日で、元例大祭。だんじり(地車)の曳行がある。7月31日に夏祭がある。9月9日が重陽祭で、天武天皇祭。
境内社に春高稲荷社(宇賀御魂神・大宮売神・猿田彦神)がある。もとは片江素盞嗚尊神社の境内社で、合祀とともに当社境内に移された。
この春高稲荷社は、東大阪でも極めて古い稲荷として知られているという。境内には他に、祖霊殿がある。
【ご利益】
平穏安寧、事業成功、産業振興、厄災除け(公式HP)

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