垂仁朝に大和から笠縫氏が移住、奈良期に稲荷勧請、秀頼が改築
[住所]大阪府大阪市東成区深江南3-16-17
[電話]06-6971-4223

深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)は、大阪府大阪市東成区深江南にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

第11代垂仁天皇の御代、笠縫氏の祖が大和笠縫邑より、摂津国東生郡笠縫島の宮浦の地、現在の深江南3丁目の地に居を定め、下照姫命を奉祀したのが始まりだという。

当地が良質の菅に恵まれたことが理由だという。笠縫氏は代々伊勢の神宮(伊勢神宮)の御神体を守る菅御笠、菅御翳を奉ずる氏族。

当地に移ってからも歴代天皇の即位式の大嘗祭に用いられる御菅蓋や、伊勢神宮の式年遷宮が行われるたびに御神宝の菅御笠、菅御翳を奉製献納した。

その後、奈良時代、元明天皇の和銅年間(708年-715年)に山城国稲荷神社の御分霊を勧請したという。

御祭神は、稲倉魂大神(うがのみたまのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)・天鈿女大神(あめのうずめのおおかみ)。

旧深江村の氏神。江戸時代初期の慶長8年(1603年)、豊臣秀頼が片桐市正、加藤左馬介に命じ、社殿が改築された。

しかし、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣による兵火で焼失。江戸時代中期の宝暦10年(1760年)、本殿と絵馬堂が再興された。

寛政8年(1796年)、本殿・拝殿に修理が加えられ、同時に石鳥居が再建された。江戸時代後期の文化14年(1817年)9月にも本殿・拝殿に修理が加えられた。

お伊勢参りが盛んになった江戸時代には、伊勢音頭に「大坂出てから早や玉造、笠を買おうなら深江が名所」と歌われた。

大坂玉造の二軒茶屋から伊勢参りに出立した者は、まずここで菅笠を買うのがしきたりになっていたという。

明治5年(1872年)、村社に列し、明治25年(1892年)11月、拝殿を改築し、幣殿が新築された。

昭和47年(1972年)、府教育委員会から大阪府史跡「摂津笠縫邑」に指定された。また、「深江菅笠ゆかりの地」にも指定されている。

平成3年(1991年)には神社本庁より神社振興対策のモデル神社に指定された。平成5年(1993年)年に本殿・拝殿・社務所などが改築された。

例祭は10月17日。7月31日・8月1日には夏祭があり、だんじりの宮入りが行われる。11月28日には火焚祭(ひたきさい)があり、みかん撒きなどがある。

みかんと関連してか、境内の拝殿前の庭には、御神木の楠(クス)の横に、夏みかんの木が植えられている。

当社に隣接して約80平米の深江の菅田が復元され、現在も菅笠作りは有志により継承され、作り続けられており、市の無形文化財に指定されている。

摂社に天津社(月讀大神稚日女大神軻過突智大神・下照姫大神)、末社に笠縫神社(天勇蘇命・天津麻占曽曽命・天津赤麻良命・笠縫氏祖)、御食津神社(榎稲荷神社。豊受大神・御食津大神)がある。

御食津神社は、奈良時代初期の霊亀元年(715年-717年)、伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)より御分霊を移し、奉祀したものだという。

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深江稲荷神社 大阪府大阪市東成区深江南
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深江稲荷神社 大阪府大阪市東成区深江南の御朱印