柳島総鎮守、織田信長が疫病退散祈願、それ以来の歩射神事
[住所]東京都江東区亀戸3-38-35
[電話]03-3681-3042

天祖神社(てんそじんじゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社。亀戸天祖神社、江東天祖神社とも。近代社格では村社。

亀戸七福神の福禄寿で、参拝すれば、当社と福禄寿の御朱印を頂ける。後述の、歩射(びしゃ)の様子が描かれたオリジナルの御朱印帳がある。

第33代推古天皇(在位:593年-628年)の御代、聖徳太子の作による御神像を祀ったのが創祀とされる。御祭神は天照皇大御神

当地は東京湾の奥に点在した小島のうち、「柳島」と呼ばれた島で、当社はその総鎮守。旧称は柳島・砂原神明宮(すなはらのしんめいぐう)。

別当は龍眼寺。龍眼寺の縁起によれば、比叡山での修行を終えた良博大和尚が郷里に帰る途中、柳島で一夜を過ごした時に夢に観世音菩薩が現れた。

「この堂の下に、汝の守るべき御本尊と村の守護神となる御神体がある」とお告げがあり、翌朝、夢告通りに観世音菩薩像と御神体を授かった。

良博大和尚がそれに一心に祈願すると、村を襲っていた流行病が治まり、そこで御神体を祀って神明宮としたともいう。

室町時代の永享年間(1429年-1441年)、社殿が倒壊、戦国時代に突入していた時世柄、修復が進まず、天文10年(1541年)になって、ようやく再建された。

天正年間(1573年-1593年)に疫病が広まった際、織田信長は当社へ使者を遣わし、流鏑馬を奉納したところ、疫病は収まったという。

この事が恒例となり、現在でも秋の例祭時に氏子児童を選出して歩射が行われるようになった。

明治初めまでは、正月元旦から7日まで、横十問川の堤にある萩寺(龍眼寺)の角に授与所が設けられ、各町役人年番などが裃を着けて諸人に神明宮疫除神符を授与したという。

三が日は未明より日没まで、群衆が争って拝受したと伝わる。明治5年(1872年)、村社に列し、現社号に改称した。

大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊、昭和4年(1929年)12月には鉄筋コンクリート造の社殿が造営され、これが現在の社殿である。

現在までに相殿に宇迦之御魂大神を祀る。例祭は9月16日。上述の歩射の他、神幸祭として本社神輿の渡御がある。

歩射は、女児を交えた子供歩射で、萌黄直垂に、烏帽子を被り、中啓(扇)を持った服装で的を射る。子供達ののびやかな成長を祈願する。

境内社に、太郎稲荷神社(倉稲魂神)がある。筑後立花家下屋敷にあった、立花家の守護神を江戸時代に移したもので、樋口一葉の『たけくらべ』にも出てくる。

毎年4月午の日、例祭「卯月祭」の時のみ、太郎稲荷神社の御朱印が授与される。

【ご利益】
病気平癒、病魔退散、商売繁盛、事業成功、身体壮健
天祖神社 東京都江東区亀戸
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天祖神社 東京都江東区亀戸の御朱印