もとは妙正寺の十羅刹堂、井草八幡の境外社、子宝の「下ベロ餅」
[住所]東京都杉並区清水3-19-10
[電話]03-3399-8133 - 井草八幡宮
中瀬天祖神社(なかせてんそじんじゃ)は、東京都杉並区清水にある神社。現在は井草八幡宮の兼務社。御朱印の有無は不明。
『新編武蔵風土記稿』多摩郡下井草村の条に「十羅刹堂」とあり、「妙正寺ヨリ三町程北ノ方小名神戸ニアリ。妙正寺御朱印地ノ内ナリ 即此ノ寺ノ持」と記されている。
妙正寺は日蓮宗の寺院で、南北朝時代の文和元年(1352年)の開基。江戸時代前期の慶安2年(1649年)、3代将軍徳川家光が鷹狩りの際に立ち寄った。
これをきっかけに葵の紋幕と朱印地5石を賜り、御朱印寺として有名になった。当社の創祀・創建は不詳だが、これ以降この朱印地に十羅刹堂として創建されたと思われる。
明治以前は従羅刹様、神明様などと称されたが、明治元年(1868年)の神仏分離令によって天祖神社と改称された。
御祭神は大日孁貴神(天照大神の別の尊称)・市杵嶋姫命(天照大神の姫神)・保食神(穀物や食物の神)の三神。
また、このほかに市杵嶋神社・稲荷神社合殿の境内社が一社ある。境内社には三峯神社もあるとも。
「神社明細帳」には「当社は井草八幡宮の境外神社」で、井草川の西岸神戸坂の上にあり、極めて古き社であり、御神体は一大石剣とある。
この御神体が霊石とする伝説がある。天祖・稲荷それぞれに講中があり、百余名の氏子が熱心に維持管理に当たっているという。例祭は10月15日。
昭和20年(1945年)頃までは、例祭日には社前で餅をつき、「下ベロ餅」という丸餅が参拝者に振る舞われた。
この餅を食べると子宝が授かるといわれ、遠方からも多数の参拝者があり、「神戸の鎮守様」として昔から親しまれてきた。
【ご利益】
子宝・安産、子育て、五穀豊穣、開運招福

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[電話]03-3399-8133 - 井草八幡宮
中瀬天祖神社(なかせてんそじんじゃ)は、東京都杉並区清水にある神社。現在は井草八幡宮の兼務社。御朱印の有無は不明。
『新編武蔵風土記稿』多摩郡下井草村の条に「十羅刹堂」とあり、「妙正寺ヨリ三町程北ノ方小名神戸ニアリ。妙正寺御朱印地ノ内ナリ 即此ノ寺ノ持」と記されている。
妙正寺は日蓮宗の寺院で、南北朝時代の文和元年(1352年)の開基。江戸時代前期の慶安2年(1649年)、3代将軍徳川家光が鷹狩りの際に立ち寄った。
これをきっかけに葵の紋幕と朱印地5石を賜り、御朱印寺として有名になった。当社の創祀・創建は不詳だが、これ以降この朱印地に十羅刹堂として創建されたと思われる。
明治以前は従羅刹様、神明様などと称されたが、明治元年(1868年)の神仏分離令によって天祖神社と改称された。
御祭神は大日孁貴神(天照大神の別の尊称)・市杵嶋姫命(天照大神の姫神)・保食神(穀物や食物の神)の三神。
また、このほかに市杵嶋神社・稲荷神社合殿の境内社が一社ある。境内社には三峯神社もあるとも。
「神社明細帳」には「当社は井草八幡宮の境外神社」で、井草川の西岸神戸坂の上にあり、極めて古き社であり、御神体は一大石剣とある。
この御神体が霊石とする伝説がある。天祖・稲荷それぞれに講中があり、百余名の氏子が熱心に維持管理に当たっているという。例祭は10月15日。
昭和20年(1945年)頃までは、例祭日には社前で餅をつき、「下ベロ餅」という丸餅が参拝者に振る舞われた。
この餅を食べると子宝が授かるといわれ、遠方からも多数の参拝者があり、「神戸の鎮守様」として昔から親しまれてきた。
【ご利益】
子宝・安産、子育て、五穀豊穣、開運招福

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