国内唯一の流産除け胎内安全の神、子宝の子持ち松と不老長寿の杉
胎安神社 茨城県かすみがうら市西野寺434
[住所]茨城県かすみがうら市西野寺434
[電話]0299-22-5398

胎安神社(たやすじんじゃ)は、茨城県かすみがうら市西野寺にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳が準備されている。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 茨城郡「夷針神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創建は、奈良時代の天平宝字6年(763年)9月と伝わる。社伝によれば、御神体は藤原政重の銘がある鏡。

初めは下総国香取神宮の神、経津主命を祀り、相殿に、山城国葛野郡梅宮大社の御分霊として、胎内安全の神、木花咲耶姫命を祀ったという。

この時、4月8日を当社の例祭と定めた。現在は3月3日、ひな祭りで、徹底した女性守護の神であり、下記の由緒がそれを示す。

平安時代の天喜2年(1055年)、鎮守府将軍で、陸奥守である源頼義・義家の父子が、奥州征討の時、隣村の下雫村(下志筑)在陣。

当社が胎内安全、安産子育守護の霊験著大なることを聞き、都にいる奥方の懐胎を遥想されて、神主を招き、安産祈願を執行した。

康平6年(1064年)、父子の帰路、当社と子安神社に奉賽し、この時の「太刀一振り」の奉納札が現存している。

その後、義家の嫡男誕生の9月9日を記念日として、祭日に定めたという。この時以来、義家の家紋である笹竜胆の使用が許された。

戦国時代の天文4年(1536年)11月に遷宮が行われ、江戸時代前期の元禄8年(1696年)4月にも遷宮の記録が残る。

江戸時代中期の享保3年(1719年)12月、社殿が改修・改築され、享保18年(1733年)にも遷宮があった。

明和8年(1771年)、現在地に遷座、この際の遷宮でのものが、現存の社殿となる。

この時期以降、志筑領主本堂氏の代々の安産祈願所となったほか、常陸府中藩松平氏、土浦藩主土屋氏の安産祈願を行った。

明治6年(1873年)4月、村社に列し、明治22年(1889年)1月9日には社殿の屋根を銅板に葺替られた。

長らく香取神社と呼ばれていたが、昭和31年(1956年)2月8日に現社号に改称した。現在までに彦火瓊瓊杵尊彦火々出見尊を祀り、大山祇命を配祀する。

現在においても、国内唯一の胎内安全の神で、流産除けのご利益がある。また安産、育児の霊験もあらたかで、「胎安講」「児安講」などもあるという。

境内には子持ち松がある。「石(子)を抱いた珍しい松」で、明治期に枯れてしまったが、その当時で樹齢500年とされた。

枯死した今も、子宝のご利益に預かろうとする参詣者が後を絶たない。また、お礼参りも多いという。

拝殿前には不老長寿の杉(スギ)がある。根元が固められているためか、成長が遅く、樹齢が経っている割に、大木ではないのが特徴。

杉皮の一片を衣服に縫い入れ着用すると、長寿を保ち、常に溌剌たる元気を保ち続けられると言い伝えられている。

境内社に、厳島社・天満宮・天照皇大神宮・稲荷社・道祖社がある。

なお、式内社「夷針神社」の論社は他に、東茨城郡茨城町の式内同名神社、笠間市泉の愛宕神社の境内にある飯綱神社、かすみがうら市の東野寺の子安神社、石岡市小屋の足尾神社がある。

また、当社は、式内社「羽梨山神社」の候補になる場合がある。式内社「羽梨山神社」は一般的に笠間市上郷の式内同名神社に比定されているが、異説がある。

『新国誌』園部状に、現在のつくば市小田にある小田城の小田政治が、小田から出て式内社と思われる「羽梨之宮」で軍勢を揃え、霞ケ浦を渡って小川に向かうとある。

小田から笠間市上郷を経由して霞ヶ浦を渡るのは、かなりの遠回りとなり無理があり、式内社「羽梨山神社」は、小田から霞ヶ浦の間、石岡市南部か、かすみがうら市にあるとするもの。

この場合、当社の他、子安神社も候補となる。

【ご利益】
胎内安全・子宝・安産・育児、一族・子孫繁栄(公式HP
胎安神社 茨城県かすみがうら市西野寺
【関連記事】
茨城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、茨城県に鎮座している神社の一覧
胎安神社 茨城県かすみがうら市西野寺の御朱印