常陸三山の足尾山、醍醐天皇の足病を治癒した「日本最初」
足尾神社 茨城県石岡市小屋1
[住所]茨城県石岡市小屋1
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足尾神社(あしおじんじゃ)は、茨城県石岡市小屋にある神社。標高628メートルの足尾山山頂に奥宮があり、麓に里宮がある。

御朱印の有無は不明も、里宮で頂けるとの情報もある。事前連絡が必要とのこと。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 茨城郡「夷針神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

火災により資料が焼失しており、創祀・創建年代は不詳。平安時代以前、つまり奈良時代末期までには山頂に祠があったという。

筑波山加波山の中央に位置する足尾山は、葦穂山とも呼ばれ、常陸三山として『万葉集』にもその名が見える古くからの聖地。

御祭神は、国常立命面足命惶根命。平安以前の山頂の祠が、現在の当社と直結しているかどうかは不明ながら、この山頂の祠が式内論社だという。

ちなみに、式内社「夷針神社」の他の論社には、東茨城郡茨城町の式内同名神社、笠間市泉の愛宕神社の境内にある飯綱神社、かすみがうら市の東野寺の子安神社、西野寺の胎安神社がある。

社伝によれば、第60代醍醐天皇(在位:897年-930年)が足の痛みに苦しんでいる時、夢に足尾の神が現れたので、遠く足尾の山を遥拝すると、すぐに快癒したという。

足痛の全快を喜んだ醍醐天皇は、紙に御足形を印し、「日本最初足尾神社」の勅額を下賜した。

平安時代末には、源義経の家臣としても知られる常陸坊海尊が籠もり、荒行して以来、足尾山は修験道の霊場として広く知られるようになった。

足尾山で修行した修験者が諸国を行脚しながら、当社の足病消除の御神徳を全国に広め、それにより足の諸病に悩む崇敬者の参詣が多くなったという。

後醍醐天皇の勅願が野火により焼失したので、室町時代の寛正5年(1464年)、御所へ再下賜を願い出たところ、再び勅額と菊桐入り喇石の下賜があったという。

しかし、この勅願も、明治の神仏分離の混乱で失われた。近世には足尾権現と称し、別当は里宮の東にある大岩寺だった。明治6年(1873年)4月、郷社に列した。

例祭は9月21日。足病の治癒などを祈願する参詣者・崇敬者は、金属製の草鞋や草履を奉納する習慣があった。

しかし太平洋戦争終戦後に、金属の需要が高まると、奉納物の盗難が相次ぎ、現在は靴やサンダルの奉納に形を変えているという。

【ご利益】
足病の治癒、病気平癒、身体壮健、健康長寿
足尾神社 茨城県石岡市小屋
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