奈良後期に紀伊を勧請、光圀が旧称に復す「アジサイの杜」
青山神社 茨城県東茨城郡城里町上青山229
[住所]茨城県東茨城郡城里町上青山229
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青山神社(あおやまじんじゃ)は、茨城県東茨城郡城里町上青山にある神社。「アジサイの杜」とも呼ばれ、季節には紫陽花が参道に咲き誇る。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 那賀郡「青山神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

『常陸式内鎮座本紀』によれば、奈良時代後期の宝亀3年(772年)、神託により、紀伊国伊太祁曾神社から五十猛命を勧請したという。

あるいはこの年に遷宮したとも伝わる。社名は、御祭神が新羅から木種を持ち帰り、各地に播種し、日本を、木々の茂る「青山」としたためとされる。

周辺は、上青山古墳群で、東西約400メートル、南北約150メートルの範囲に、高さ1メートル程度の40基あまりの円墳と方墳2基が散在する。

木国の大神あるいは有功神(いさをしのかみ)と称えられ、平安時代、貞観2年(860年)に従五位下、仁和2年(886年)に従五位上、位田12町を授かった。

霊江戸時代前期の延宝4年(1676年)10月、社殿や神倉が炎上し、社宝や古記など一切を焼失し、由緒不明となった。

ただ、それ以前の寛文3年(1663年)の鎮守開基帳には若宮八幡とあり、早くから由緒が失われていたようだ。

その後、八幡宮とか、鹿島明神などと誤り伝えられたものを、元禄9年(1696年)、水戸光圀によって現社号に復した。

圭田1石8斗3合だったが、常陸水戸藩9代藩主徳川斉昭はさらに5石7斗4升5合を加増した。

明治45年(1912年)3月28日、村社に列し、大正元年(1912年)11月28日には神餞幣帛料供進社に指定された。

昭和5年(1930年)、拝殿の屋根をトタンに葺替えた。例祭は秋季が旧暦9月29日、春季が3月28日。

昭和41年(1968年)まで、特殊神事として「高祓」がおこなわれていた。これは、2人の巫女が御神木の杉に注連縄を張り、神楽を舞う神事。

御神宝として、元禄年間の社殿再建の際、本殿地より発掘された埴輪女子頭部、天狗面、徳川斉昭が奉納した大弓一張があった。

このうち、大弓は盗難被害に遭ったため、現在は復元模造品が作られている。他の御神宝も盗難を避けるため、、茨城県歴史館に寄託したという。

境内社に、八幡社・天王宮など複数の小祠がある。

【ご利益】
リフレッシュ、身体壮健、健康長寿、事業成功、産業振興
青山神社 茨城県東茨城郡城里町上青山
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