粟河とも呼ばれた那珂川、飛鳥末期に大杉に神が降臨、大山草案跡
阿波山上神社 茨城県東茨城郡城里町阿波山664
[住所]茨城県東茨城郡城里町阿波山664
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阿波山上神社(あわさんじょうじんじゃ)は、茨城県東茨城郡城里町阿波山にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 那賀郡「阿波山上神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

社伝によれば、飛鳥時代末期の大宝元年(701年)、御祭神の少彦名命が童子姿の神で手に粟穂を持ち、大杉に降臨したという。

そのため、降木明神とも、佐加利子明神とも呼ばれた。『新編常陸国誌』に「本殿の坤方に降木山、降木原などあり」とあり、この伝承にちなんだ地名も存在した。

そこで、阿波山という森に祠を建て、この神を祀り、現社号を号したという。一帯は那珂川と桂川に挟まれた平地で、「山上」とは呼べない。

粟山の上下2ヶ村のうち、上粟山に鎮座していたことから、「山上」が社号に付いたとも。

『日本三代実録』仁和2年(886年)12月9日に「阿波神」として從五位上に昇叙した。『延喜式神名帳』から「山上」が付いた。

「阿波」は、『倭名類聚抄』の那珂郡阿波郷にも見える古い地名。『常陸国風土記』那賀郡の条では、「粟河」が出てくる。那珂川の別名で、阿波郷を通る河川の意。

鎌倉時代前期の建保4年(1216年)、親鸞が当地にあった阿弥陀寺を頼って大山草庵を結び、常陸奥郡の布教伝道の地としたという。

参道の入口に大山草案跡の石碑と由来を記した案内板があり、延命地蔵尊が安置されている。

室町時代の延徳2年(1490年)、太田城主の佐竹義舜が奸臣により孫根城に追われた時に、当社に戦勝祈願したと伝わる。

義舜は神徳を感じて、正月に門松を飾らない氏子の慣習に従ったという。

天文10年11月(1541年)、大山義在が社頭を再興、天正10年(1592年)には大山義勝が修営を行った。

江戸時代、水戸城主の徳川斉昭が15石の社領を寄進し、社殿を修繕した。幕末の元治元年(1864年)に起きた天狗党の乱では、当社の境内で戦闘が行われた。

明治6年(1873年)8月1日、郷社に列した。例祭は4月15日。御神体は童子の姿をした木造立像である。

神が降臨した大杉が御神木。当時のものは現存しておらず、かつては二代目として樹齢1000年ともいう巨杉が「大杉様」として崇敬されていた。

樹高33メートル、周囲目通り7メートルだったが、昭和47年(1972年)9月18日の落雷により炎上。噴出する火の粉は周囲50メートルに達したという。

鎮火後、倒木の危険が生じたことから、昭和48年(1973年)7月5日に伐採された。現在は、その「大杉様」の苗から新たな御神木が育っている。

境内社に、八幡神社(応神天皇)、富士神社(木花開耶姫命)、疱瘡神社(月読命)、天満神社(菅原道真)、天王神社(素盞嗚尊)、伊勢神明社、稲荷神社(倉稲魂命)、東照天満神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、病気平癒、健康長寿
阿波山上神社 茨城県東茨城郡城里町阿波山
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