日本武尊が豊受大神を奉斎、浅間本宮巡拝者が最初に祈願した社
[住所]静岡県静岡市清水区庵原町2862
[電話]-
豊由気神社(とよゆけじんじゃ、豊由氣神社)は、静岡県静岡市清水区庵原町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「豊積神社(駿河国・廬原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、第12代景行天皇の御代、日本武尊が東征に際して、安倍郡神部神社に天照大神を祀り、当地に豊受大神を祀ったのが当社の起こりだという。
日本武尊の副将軍だった吉備武彦命の子である意加部彦命が廬原国造として当社の祭祀を司り、神職を世襲していたという。
しかし、平安時代初期の延暦17年(798年)に世襲を禁じられ、以後当社は衰退していった。
「ニノ宮」とも称されていたが、後に、浅間神社(木花開耶姫命)を勧請したため、「一ノ宮」とも呼ばれるようになった。
現在までに、主祭神が豊受姫命で、木花開耶姫命を配祀する。この地方で、富士山本宮浅間大社巡拝のものは、必ず当社に参詣したという。
社名は「止由氣神社/止由気神社」とも書かれたが、『惣國風土記』には、式内社「豊積神社」の別名が「止由氣神社」であるため、式内論社となった。
式内社「豊積神社」の論社は他に、区内の由比町屋原に式内同名神社がある。
明治8年(8175年)12月25日、郷社に列し、明治40年(1907年)6月21日には神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は10月17日。
境内社として、小里社(伊佐奈岐尊)、山本社(御嶽大神)、金谷社(金山彦命)、新田社・小路社・小外社・中村社・下川原社(いずれも保食命)、八幡社(誉田別命)、天神社(菅原道真)、山梨社(大山祗命)、天王社(素盞嗚命)、大歳御祖社(御歳神)、大門社がある。
また、境内左手にある鳥居から階段を登ると、丘の中腹に、もう一つ社殿があり、社殿の中には、「天照皇太神宮」と書かれた小さな祠がある。
【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、子宝・安産
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
豊由気神社(とよゆけじんじゃ、豊由氣神社)は、静岡県静岡市清水区庵原町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「豊積神社(駿河国・廬原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、第12代景行天皇の御代、日本武尊が東征に際して、安倍郡神部神社に天照大神を祀り、当地に豊受大神を祀ったのが当社の起こりだという。
日本武尊の副将軍だった吉備武彦命の子である意加部彦命が廬原国造として当社の祭祀を司り、神職を世襲していたという。
しかし、平安時代初期の延暦17年(798年)に世襲を禁じられ、以後当社は衰退していった。
「ニノ宮」とも称されていたが、後に、浅間神社(木花開耶姫命)を勧請したため、「一ノ宮」とも呼ばれるようになった。
現在までに、主祭神が豊受姫命で、木花開耶姫命を配祀する。この地方で、富士山本宮浅間大社巡拝のものは、必ず当社に参詣したという。
社名は「止由氣神社/止由気神社」とも書かれたが、『惣國風土記』には、式内社「豊積神社」の別名が「止由氣神社」であるため、式内論社となった。
式内社「豊積神社」の論社は他に、区内の由比町屋原に式内同名神社がある。
明治8年(8175年)12月25日、郷社に列し、明治40年(1907年)6月21日には神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は10月17日。
境内社として、小里社(伊佐奈岐尊)、山本社(御嶽大神)、金谷社(金山彦命)、新田社・小路社・小外社・中村社・下川原社(いずれも保食命)、八幡社(誉田別命)、天神社(菅原道真)、山梨社(大山祗命)、天王社(素盞嗚命)、大歳御祖社(御歳神)、大門社がある。
また、境内左手にある鳥居から階段を登ると、丘の中腹に、もう一つ社殿があり、社殿の中には、「天照皇太神宮」と書かれた小さな祠がある。
【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、子宝・安産
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
コメント