もとは市場の鎮守? 江戸期に再興され式内比定、4ヶ村の産土神
伊久比売神社 和歌山県和歌山市市小路330
[住所]和歌山県和歌山市市小路330
[電話]073-451-7683

伊久比売神社(いくひめじんじゃ)は、和歌山県和歌山市市小路にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 名草郡「伊久比売神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。奈良時代の天平宝字8年(764年)に異賊が来襲した際、藤原貞国を将軍に任じてこれを追討、凱旋した貞国が神告を受けて奉幣をしたとの伝えがある。

御祭神は伊久比売命。不詳だが、『紀伊続風土記』は、鎮座地が「市小路」で、氏子から「市姫大明神」と呼ばれているため、市場の鎮守として奉斎されたもの、とする。

異説として、「伊也比売」の誤りで、伊也土神社(六十谷鎮座の射矢止神社)の「伊也土」に対するものではないか、というものもある。

伊也土は大屋毘古神であるため、「伊也比売」は大屋津姫命ではないか、ともされる。他に、稚日女命とするものなどがある。

社伝によれば、『延喜式』神名帳の「伊久比売神社」、『紀伊国神名帳』名草郡地祇30社中の「従四位上 伊久比売神」であるとされる。

ただ、否定的な見解もある。他の論社に、市内谷の山口神社がある。ともかく、当社は祭礼では競馬が催されるなど興隆したが、応仁の乱(1467年-1477年)を境に荒廃した。

徳川頼宣の紀伊入封後、その旧跡を尋ねた結果、当社が考定されたために社名を改め、その後享保11年(1726年)に境内四至を定め、古社としての姿を現した。

次郎丸村・市小路村・中ノ村・船所村という楠見荘の4ヶ村の産土神とされた。この4ヶ村で宮座が構成され、代々祭祀などに参与する権利を有したという。

享保13年(1728年)6月には藩から宮座中の市小路村田中藤兵衛が「筋目之者」として神主に任命された。

明治6年(1873年)4月、村社に列し、明治41年(1908年)から明治45年(1912年)2月にかけて近隣の神社を合祀、あるいは境内に移祠した。

現在は和歌山市楠見、野崎2地区と貴志地区の次郎丸(じろまる)、延時の産土神として信仰されている。

本殿は一間社流造、屋根銅板葺で千木・鰹木を置く。拝殿は瓦葺の割拝殿。例祭は10月13日。

境内社に、里神神社、一宇相殿の八幡社・八王子社、住吉神社、金比羅宮、楠本白龍大神、妙見社、八幡社、八幡神社、九頭神社、春日神社がある。

また、「氏社両大明神/天照皇大神宮、金毘羅大権現」と彫られた小石塔がある。ほとんどが上述の明治末年に遷祠されたものである。

幹周7.53メートル、樹高21メートルと、幹周6.75メートル、樹高23メートル、推定樹齢500年の大クスがある。市保存緑に指定されている。

【ご利益】
地域安全、商売繁盛、五穀豊穣、子宝・安産
伊久比売神社 和歌山県和歌山市市小路
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