白鷺が群集した式内「鷺の森明神」、本居宣長が詠んだ「社霊の松」
朝椋神社 和歌山県和歌山市鷺ノ森明神丁22
[住所]和歌山県和歌山市鷺ノ森明神丁22
[電話]073-423-9662

朝椋神社(あさくらじんじゃ)は、和歌山県和歌山市鷺ノ森明神丁にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 名草郡「朝椋神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀・創建年代は不詳。御祭神は大国主命。『神名帳考証』によれば、高知県高知市の朝倉神社と同様に天津羽々神・天石帆別命とする説を挙げている。

『紀伊續風土記』によれば、クスノキの大樹があり、白鷺(しらさぎ)が群集していたため、鷺ノ森神社、九頭大明神などと呼ばれた。

この伝統は今でも引き継がれており、「鷺の森明神」の別称がある。また、境内に「社霊の松」と称する松の大樹があったという。

記録によれば、平安時代の寛弘2年(1005年)5月、摂社の改修が行われたという。『紀伊国神名帳』には、「從四位上 朝椋神」とある。

南北朝時代の永徳2年(1382年)5月、室町時代の応永18年(1411年)4月、永享10年(1438年)12月、康正3年(1457年)8月、永正年間(1504年-1520年)に造営されたという。

安土桃山時代の天正13年(1585年)、兵乱に罹り、社領などが掠取され、当時神官だった杉原景政は密かに神櫃を背負って山林に隠れたという。

現在の和歌山市栄谷にあたる海部郡栄谷村に国津神谷と称する地があり、神櫃がしばらく鎮座した地と伝えられている。

その後、文禄5年(1596年)、桑山宗栄が再建し、江戸時代前期の万治2年(1658年)には火災で焼失、紀伊藩主家が再建したという。

延宝年間(1673年-1681年)、和歌山藩の儒者である李梅渓が、それまで「顕国社」と称した当社を式内社に比定し、現社号に改称したという。

本居宣長は当社の松について、下記のように詠んでいる。現在、社頭に歌碑がある。
廣まへに 緑も深く 枝たれて よにめつらしき 神かきの松
明治6年(1873年)、村社に列し、内町西部、宇治一部の産土神となった。

昭和20年(1945年)7月、戦災によりすべての建物が焼失、昭和36年(1961年)に社殿や社務所が再建された。

例祭は10月15日。境内社に、神明神社(天照大御神豊受大御神)・子守勝手社(天之水分神国之水分神)がある。また、狛犬の他に、狛鼠がある。

【ご利益】
事業成功、病気平癒、縁結び(公式HP
朝椋神社 和歌山県和歌山市鷺ノ森明神丁
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