江戸初期、藤堂高虎が寄進、大壇那としての神殿が現存
[住所]三重県伊賀市上野愛宕町1825
[電話]0595-23-1210

愛宕神社(あたごじんじゃ)は、三重県伊賀市上野愛宕町にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

創祀年代は不詳。神代、磐境に、市杵島姫命猿田彦命櫛御気野命廣国神押武金日命の神々を斎き祀り、総称して阿多古大神とした神祇の神籠だという。

一方で、戦国時代の弘安2年(1556年)に伊賀市大山田の式内社である葦神社の神職稲上神部大夫が、大黒天、摩理支天、三宝荒神、弁財天を勧請した、とも。

神代に、廣国神押武金日命、つまり古墳時代の天皇である第27代安閑天皇を奉斎というのも少しずれる。現在までに、愛宕社らしく御祭神は、火産霊神とされる。

神域は天正9年(1581年)、兵火に焼かれて退廃したが、乱後に修験行者の小天狗清蔵坊が勧進、再興したという。

藤堂高虎が城郭普請をはじめるにあたり、巽の方位に鎮守する地主神の神威を畏んで10石あまりの神領を寄進した。

江戸時代初期の元和2年(1616年)、大壇那として高虎の名が記載されている棟札が残る。

その神殿は桁間5間、梁間2間、向拝3間の檜皮葺き、単層入母屋造りで、唐破風の向拝を配する権現造りの形式を備えた江戸初期の建造物で、県指定文化財。

それ以来、国土安穏の祈願所として制札を下賜し、毎年国中より、初穂米32石の供饌が行われ、領民ならびに近国の崇敬が厚かったという。

別当寺として大福寺が存在したが、明治初年(1868年)に廃寺。什物は市内青山の善福寺に移された。このうち両界曼荼羅は林賢の筆であるという。

明治維新の後、当社は村社に列し、神饌幣帛供進社に指定された。例祭日は7月23日。祭りではカラオケ大会や工作教室など催される。

なお、市内勝地大坪には、戦国時代に創祀され、苔むした参道、赤鳥居などで知られる奥山愛宕神社がある。

【ご利益】
火防、地域安全、家内安全
愛宕神社 三重県伊賀市上野愛宕町
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