義経が祈願、西行が詠んだ弓・武の神、室町初期の十三重塔
射手神社 三重県伊賀市長田2692
[住所]三重県伊賀市長田2692
[電話]0595-21-5272

射手神社(いてじんじゃ)は、三重県伊賀市長田にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

創祀年代は不詳。一説には、天武天皇の御代、射手山に勧請されたという。御祭神は応神天皇

社名が示す通り、武将の崇敬が篤く、『源平盛衰記』にも、木曽義仲追討のため当地を訪れた源義経が、必勝を祈願したという。

伊勢から伊賀を抜けて京都へ通じる要衝であり、西行法師も当社を訪れ、下記の歌を詠んだという。
あづさ弓 ひきし袂も ちからなく 射手の社に 墨の衣手
安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、伊賀の乱で焼失し、現在地に遷座した。

近世には、射手大明神とも八幡宮とも称された。現在、扁額には射手宮ともある。

明治41年(1908年)、境内社の御霊社・多賀社・稲荷社・天満社・山神社・水神社と、宮山鎮座の村社八幡神社、下記の近隣無格社を合祀した。

寺垣鎮座の津島神社とその境内社八柱社、平垣内鎮座の若宮八幡社とその境内社津島社、トキ鎮座の木根神社とその境内社津島社、八幡鎮座の八幡神社とその境内社津島社、十王下鎮座の比地社、湯山鎮座の稲荷社、山神鎮座の山神社。

このうち、木根神社は、『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 伊賀郡「木根神社」に比定される式内社(小社)。現在は当社の本殿の右横に小祠がある。旧鎮座地にも同名の神社が残る。

また、比地社も式内社「比地神社」の論社とされる。参考社とも。通常、式内社「比地神社」は市内比土の式内同名神社に比定されている。

現在までに、玉垂命・八神靈・伊邪那岐命宇迦能御魂神菅原道真大山祇神彌都波能売神建比良鳥命建速須佐之男命五男三女命仁徳天皇八衢比古神火産霊神を配祀する。

昭和4年(1929年)、郷社に昇格した。

境内には十三重塔(南方塔)がある。高さおよそ5.2メートル、相輪は露盤と宝輪の第八輪以上を欠くが、力強く整った形を残している。

当社の社務を行っていた仏性寺のもの。この塔の造立銘はないが、鎌倉時代後期から室町時代初期の様式がみられる。国の重要文化財に指定されている。

【ご利益】
武運長久・勝運、スポーツ・技芸上達、厄災除け
射手神社 三重県伊賀市長田
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