安寧皇子を祖神とする一族が開拓し奉斎、伊賀五大社、芭蕉も一句
須智荒木神社 三重県伊賀市荒木108
[住所]三重県伊賀市荒木108
[電話]-

須智荒木神社(すちあらきじんじゃ)は、三重県伊賀市荒木にある神社。この地は、鍵屋の辻の仇討ちで有名な荒木又衛門の出身地。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 阿拝郡「須智荒木神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

参道入口の社号標には「式内・周智荒木神社」とある。当社の創祀・創建年代は不詳。

『古事記』第3代安寧天皇の条に、安寧天皇の皇子である師木津日子命には子が2人あり、そのうちの1人の子孫が伊賀の須知の稲置・那婆理の稲置・三野の稲置の祖、とある。

当地はまさしく伊賀の須知であり、この地が開けた際、つまり荒木(新墾)に創建されたと考えられている。

もとは、その祖神である師木津日子命が御祭神だったと考えられている。

その後、葛城襲津彦命と、その父である武内宿禰命を祀り、後に、現在の猿田彦命を祀るようになった、とされる。現在、当社は白鬚明神とも呼ばれる。

仲教が寿永2年(1183年)に伊賀守に任じられ、社殿を造替したと伝わるが、天正9年(1581年)、伊賀の乱により、伝世の古記録・古文書のことごとくを焼失し、不詳。

江戸時代初期の慶長17年(1612年)、社殿が再建された。

江戸時代には厚く崇敬され、当社の他、敢国神社菅原神社愛宕神社・浅宇田神社をあわせて伊賀五大社と称し、領主入国の折りに必ず参拝するのが例になった。

ただ、この浅宇田神社は不詳。

幕末の安政2年(1855年)銘がある石造灯篭が現存する。明治になり、明治4年(1871年)7月、村社に列した。

明治41年(1908年)、大字西明寺鎮座の八幡宮をはじめ29社を合祀した。昭和6年(1931年)、郷社に昇格した。

例祭は10月20日。当社の御祭神は現在までに、主祭神を猿田彦命とし、武内宿禰命・葛城襲津彦命を配祀する。

また、誉田別命菅原道真火魂日命大日孁貴命須佐男命市杵嶋姫命金山彦命大山祗命天児屋根命天萬栲幡千幡比売命宇迦能御魂命大鷦鷯命彌都波能比売命を合祀する。

境内には、江戸時代前期の元禄3年(1690)、荒木村白髭社、つまり当社で47歳の時に松尾芭蕉(ばせを)が詠んだ下記の句碑が建っている。
畠うつ 音やあらしの さくら麻
【ご利益】
交通安全、厄災除け、事業成功
須智荒木神社 三重県伊賀市荒木
【関連記事】
三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧