穴師の神か、風神か、もとは天津社、1月に川に綱を渡す神事
[住所]三重県伊賀市石川2291
[電話]0595-44-1299
穴石神社(あないしじんじゃ)は、三重県伊賀市石川にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 阿拝郡「穴石神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は、木花佐久夜比売命・天津児屋根命・天長白羽命(長白羽神)・天香香背男命(天津甕星)。
ただし、穴石=穴師と考え、御祭神を大和の穴師社と同じだとする説もある。
別の説にアナシの神を風神として、「アナシ」の語意は「乾の風」を表すものという解釈もある。
そのため、式内社「穴石神社」の他の論社として、市内柘植町の都美恵神社がある。
式内社「穴石神社」は、平安時代の貞観元年(859年)、「穴石神」として無位から従五位下に昇格、官社に列した。
安土桃山時代の天正9年(1581年)、当社は伊賀の乱により、社殿、古書などがことごとく焼失した。
若宮大明神造営とある江戸時代前期の寛文2年(1662年)の棟札がある。
以前は、天津社と称しており、波敷野村にあったが、波敷野村と石川村の両村に分祀し、御神体を波敷野村に、御神宝を石川の穴石神の地に祀ったという。
その後、波敷野村の天津社は、明治になって陽夫多神社に合祀された。
当社は明治4年(1871年)7月、村社に列し、明治39年(1906年)9月から下記の合祀を行い、現社号に単称したという。
当社は、境内社の津島神社・若宮八幡宮と、石川鎮座の無格社市杵島神社、稲荷神社、青嶽神社・山神社、秋葉神社、手若社、白石神社を合祀した。
そのため、現在までに合祀神として、市杵嶋比売命・宇迦能御魂命・大山祇命・火産霊神・彌都波能売神・武甕槌命・経津主命・健速須佐之男命・仁徳天皇を祀る。
例祭は4月16日。特殊神事として、勧請祭、神縄釣祭が1月第2日曜日に斎行される。
氏子青年が、各戸から奉納された縄を太さ15センチ、長さ50メートルの大注連縄に縫い上げ、地区の巽の方向に流れる川の上に張り、福の流出、禍の侵入防止を祈願する。
一対の木造阿吽狛犬が現存する。高さ54センチ、河合郷の住人河合重種と乾孫七郎が合同で奉納したもので、江戸時代初期の秀作として知られる。
石造宝篋印塔があり、青岳山にあった毘沙門寺から移されたもの。その基礎には五行の刻銘があり、南北朝時代中期の延文4年(1359年)1月15日の造立銘がある。
木造阿吽狛犬と石造宝篋印塔は町の文化財に指定されている。
【ご利益】
子宝・安産、厄災除け、開運招福、学業・受験合格

【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
[電話]0595-44-1299
穴石神社(あないしじんじゃ)は、三重県伊賀市石川にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 阿拝郡「穴石神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は、木花佐久夜比売命・天津児屋根命・天長白羽命(長白羽神)・天香香背男命(天津甕星)。
ただし、穴石=穴師と考え、御祭神を大和の穴師社と同じだとする説もある。
別の説にアナシの神を風神として、「アナシ」の語意は「乾の風」を表すものという解釈もある。
そのため、式内社「穴石神社」の他の論社として、市内柘植町の都美恵神社がある。
式内社「穴石神社」は、平安時代の貞観元年(859年)、「穴石神」として無位から従五位下に昇格、官社に列した。
安土桃山時代の天正9年(1581年)、当社は伊賀の乱により、社殿、古書などがことごとく焼失した。
若宮大明神造営とある江戸時代前期の寛文2年(1662年)の棟札がある。
以前は、天津社と称しており、波敷野村にあったが、波敷野村と石川村の両村に分祀し、御神体を波敷野村に、御神宝を石川の穴石神の地に祀ったという。
その後、波敷野村の天津社は、明治になって陽夫多神社に合祀された。
当社は明治4年(1871年)7月、村社に列し、明治39年(1906年)9月から下記の合祀を行い、現社号に単称したという。
当社は、境内社の津島神社・若宮八幡宮と、石川鎮座の無格社市杵島神社、稲荷神社、青嶽神社・山神社、秋葉神社、手若社、白石神社を合祀した。
そのため、現在までに合祀神として、市杵嶋比売命・宇迦能御魂命・大山祇命・火産霊神・彌都波能売神・武甕槌命・経津主命・健速須佐之男命・仁徳天皇を祀る。
例祭は4月16日。特殊神事として、勧請祭、神縄釣祭が1月第2日曜日に斎行される。
氏子青年が、各戸から奉納された縄を太さ15センチ、長さ50メートルの大注連縄に縫い上げ、地区の巽の方向に流れる川の上に張り、福の流出、禍の侵入防止を祈願する。
一対の木造阿吽狛犬が現存する。高さ54センチ、河合郷の住人河合重種と乾孫七郎が合同で奉納したもので、江戸時代初期の秀作として知られる。
石造宝篋印塔があり、青岳山にあった毘沙門寺から移されたもの。その基礎には五行の刻銘があり、南北朝時代中期の延文4年(1359年)1月15日の造立銘がある。
木造阿吽狛犬と石造宝篋印塔は町の文化財に指定されている。
【ご利益】
子宝・安産、厄災除け、開運招福、学業・受験合格

【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
コメント