『古事記』記載の物部川の氾濫を防ぐ神も、氾濫で二度の遷座
[住所]高知県香南市野市町西野1202
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深淵神社(ふかぶちじんじゃ)は、高知県香南市野市町西野にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 香美郡「深淵神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀年代は不詳だが、古老による伝承によれば、第6代孝安天皇31年、深淵水夜禮花命が顕現し、身を隠したことにより奉斎された。
御祭神は深淵水夜禮花命。『古事記』に深淵之水夜礼花神とある。十七世神の第三で、建速須佐之男命のひ孫、大国主命の曾祖父。
深淵は、『和名類聚抄』郷名部に土佐香美郡深淵とある。当社は深淵権現とも呼ばれ、深渕郷・佐太郷の総鎮守として崇敬された。
『香美郡志』によれば、「夜禮」は「破れ」、「花」は「端」の意味で、神名は、深淵の水、つまり当社西を流れる物部川の氾濫時に、その被害を食い止める神であるという。
『日本三代実録』貞観12年3月5日に従五位下が授けられ、元慶3年9月27日には従五位上に進んだ。
もとは今、物部川が流れている地に鎮座していたが、洪水により十禅寺に遷座した。そのため、十禅寺権現とも。
明治元年(1868年)、現社号に改称し、明治5年(1872年)には郷社に列し、明治12年(1879年)に県社に昇格した。
明治25年(1892年)、再び洪水被害があり、十禅寺の地より現在地に遷座した。
物部川の氾濫を抑えること期待された神だが、その氾濫によって、当社自身、二度の遷座の憂き目にあったことになる。
【ご利益】
厄災除け、災害除け
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深淵神社(ふかぶちじんじゃ)は、高知県香南市野市町西野にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 香美郡「深淵神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀年代は不詳だが、古老による伝承によれば、第6代孝安天皇31年、深淵水夜禮花命が顕現し、身を隠したことにより奉斎された。
御祭神は深淵水夜禮花命。『古事記』に深淵之水夜礼花神とある。十七世神の第三で、建速須佐之男命のひ孫、大国主命の曾祖父。
深淵は、『和名類聚抄』郷名部に土佐香美郡深淵とある。当社は深淵権現とも呼ばれ、深渕郷・佐太郷の総鎮守として崇敬された。
『香美郡志』によれば、「夜禮」は「破れ」、「花」は「端」の意味で、神名は、深淵の水、つまり当社西を流れる物部川の氾濫時に、その被害を食い止める神であるという。
『日本三代実録』貞観12年3月5日に従五位下が授けられ、元慶3年9月27日には従五位上に進んだ。
もとは今、物部川が流れている地に鎮座していたが、洪水により十禅寺に遷座した。そのため、十禅寺権現とも。
明治元年(1868年)、現社号に改称し、明治5年(1872年)には郷社に列し、明治12年(1879年)に県社に昇格した。
明治25年(1892年)、再び洪水被害があり、十禅寺の地より現在地に遷座した。
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