用明朝に20坊の伽藍、石山合戦で焼失、歴代大坂城代の崇敬
[住所]大阪府大阪市東成区大今里4-16-48
[電話]06-6971-6997

熊野大神宮(くまのだいじんぐう)は、大阪府大阪市東成区大今里にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀年代は不詳。第31代用明天皇2年、厩戸王子が四天王寺を浪速玉造の岸に創立した時、20坊の伽藍を建立して、当宮の社務を司ったという。

当時、社殿は宏麗、境内は広潤、祭事備具は極めて堂々たるものがあったと伝わる。

しかし、戦国時代の元亀元年(1570年)、石山寺本願寺の顕如が織田信長と交戦、当宮やその伽藍が兵火にかかり焼失した。

間もなく、現在の妙法寺となる坊舎が再建された。また、文禄3年(1595年)、船越五郎右衛門による検地で、氏神熊野権現宮除地4反4畝24歩に削減とある。

慶長6年(1601年)、阿闍梨祐慶が社僧となり、慶長9年(1604年)には本殿と拝殿が再興された。

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣において、京極忠高が当宮地を陣屋とした。

元和元年(1615年)、松平忠明が大阪城代に就任、以降、大坂城代就任と領内巡視の時は、必ず社参することを恒例とした。

元禄15年(1702年)、宝永7年(1710年)8月、弘化4年(1847年)9月、明治4年(1871年)にはそれぞれ本殿と拝殿が修理された。

明治8年(1875年)、村社に列し、権現号を廃止、現社号に改称した。明治44年(1911年)7月には大字東今里村社八釼神社、無格社菊理姫神社を合祀した。

この八釼神社の跡地は当宮の北方1キロぐらいにあり、現在は当宮の御旅所になっている。大正7年(1918年)6月10日には神饌幣帛料供進社に指定された。

御祭神は現在までに、伊弉册尊・速玉男命・事解男命・大己貴尊素盞男命奇稲田姫命

例祭は10月16日・17日で秋祭。夏祭が7月16日・17日に、弁天祭が5月17日にある。夏祭にはだんじりが出る。

境内摂社に厳島神社(市杵島姫命。弁財天)が、境内末社に金刀比羅神社(大物主命)、皇大神宮(天照皇大神)があり、他に菊理姫神社(菊理姫命)がある。

また、白高大明神・八助大明神・笠杉大明神・白光大神が祀られている。

【ご利益】
子宝・安産、病気平癒、厄災除け、夫婦和合
熊野大神宮 大阪府大阪市東成区大今里
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熊野大神宮 大阪府大阪市東成区大今里の御朱印