奈良朝の大干ばつで霊験、剣神社とも、4月に遺風のオケラ餅神事
[住所]石川県鹿島郡中能登町久江ヘ66
[電話]0767-76-0221 - 天日陰比咩神社
久氐比古神社(くてひこじんじゃ)は、石川県鹿島郡中能登町久江にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「久氐比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は、久延毘古神・天目一箇神。最初に久江に定着した住民の五穀豊穣祈願神として祀られたという。
一方で、「くて」は、土地が崩壊する、動き崩れる、つまり地すべり現象をあらわす語であるとの指摘がある。
奈良時代の天平宝字6年(762年)、大干ばつの際、霊験があって、干ばつ対策に効果ありとされ、御田大神と称された。
天目一箇神の兼ね合いで、古くより剣神社・剣明神とも呼ばれ、近世を通じて、劔大明神と称された。
江戸時代前期の延宝5年(1677年)、それから30年後の宝永5年(1708年)に社殿造営の記録が残る。
現在までに向かって左に愛宕神社(火産霊神)が祀られている。幕末の嘉永3年(1850年)に当社に合祀されたという。
明治になり、まず郷社に列し、明治31年(1898年)には県社に昇格した。近隣の貴船社、諏訪社、櫛社の三社を境内社とした。
三社の境内社は現在、社務所内で奉斎されているという。明治39年(1906年)、神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭は7月5日。4月11日・12日に春祭があり、特殊神事として、神賑行事「オケラ餅神事」がある。
この神事は、醍醐天皇(在位:897年-930年)の時代の遺風を今に伝えるものとされ、オケラ餅を作る様々な過程で、賑わい、騒ぐという。
こちらにPDFで詳細がある。1000年以上前の遺風、あまりピンとこないが、現在はほとんど中絶の状態とのこと。寂しい限りである。
【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、産業振興、火防
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[電話]0767-76-0221 - 天日陰比咩神社
久氐比古神社(くてひこじんじゃ)は、石川県鹿島郡中能登町久江にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「久氐比古神社(能登国・能登郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は、久延毘古神・天目一箇神。最初に久江に定着した住民の五穀豊穣祈願神として祀られたという。
一方で、「くて」は、土地が崩壊する、動き崩れる、つまり地すべり現象をあらわす語であるとの指摘がある。
奈良時代の天平宝字6年(762年)、大干ばつの際、霊験があって、干ばつ対策に効果ありとされ、御田大神と称された。
天目一箇神の兼ね合いで、古くより剣神社・剣明神とも呼ばれ、近世を通じて、劔大明神と称された。
江戸時代前期の延宝5年(1677年)、それから30年後の宝永5年(1708年)に社殿造営の記録が残る。
現在までに向かって左に愛宕神社(火産霊神)が祀られている。幕末の嘉永3年(1850年)に当社に合祀されたという。
明治になり、まず郷社に列し、明治31年(1898年)には県社に昇格した。近隣の貴船社、諏訪社、櫛社の三社を境内社とした。
三社の境内社は現在、社務所内で奉斎されているという。明治39年(1906年)、神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭は7月5日。4月11日・12日に春祭があり、特殊神事として、神賑行事「オケラ餅神事」がある。
この神事は、醍醐天皇(在位:897年-930年)の時代の遺風を今に伝えるものとされ、オケラ餅を作る様々な過程で、賑わい、騒ぐという。
こちらにPDFで詳細がある。1000年以上前の遺風、あまりピンとこないが、現在はほとんど中絶の状態とのこと。寂しい限りである。
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