大吉備津彦尊が奉斎した磐座、「琴弾の滝」、江戸期の本殿
[住所]岡山県美作市滝宮89
[電話]0868-74-2313

天石門別神社(あまのいわとわけじんじゃ)は、岡山県美作市滝宮にある神社。別名は滝宮神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 美作国 英多郡「天石門別神社」に比定される式内社(小社)。美作国三宮ともされる。近代社格では県社

境内奥には、落差13メートルの「琴弾の滝」があり、春は桜、コブシ、夏は天然の涼場として、秋は紅葉名所として知られている。

社伝によれば、第10代崇神天皇10年、四道将軍の一人、大吉備津彦尊が自ら当地に天手力男神を祀ったことが当社の創始。

社殿後方下にある磐座遺跡がその跡とされる。また、「猟師塚」とも呼ばれ、天石門別神を当地へ案内した猟師の塚であるともされる。

平安時代、第56代清和天皇の貞観5年(863年)5月、從五位上に進んだ。春秋二季の大祭は国費によって齋祀され、美作三ノ宮として栄えた。

往時の境内は9丁四面で、東西南北に鳥居が建立され、神田10町歩が祭祀料として充てられたという。その鳥居や、神田に関する地名が今も残る。

鎌倉時代には、当地の地頭である渋谷氏が社殿を造営し、神田や神具、祭器などを献納したという。

しかし、安土桃山時代の天正18年(1590年)、長船貞行が当地域を領すると、神田をはじめ、社有の資産をすべて没収、社勢は衰えた。

それまでは、4月の春季大祭における矢夫佐女神事、7月晦日の田実祭、9月9日から10日間行われた秋季大祭が伝わったが、これらも失われた。

江戸時代になり、慶長8年(1603年)、森忠政が津山城に入ると、当社を敬仰し、社領50石が寄進された。森長俊は元禄4年(1691年)、本殿を改築した。これが現存する。

御祭神は、伊勢の神宮(伊勢神宮)でも祀られているため、当地では参宮の際、まずは当社に道中の安全を祈願するのが習わしだったという。

無事参宮がすめば、帰途は当社に絵馬を奉納したという。また、干ばつに際しての雨乞いに霊験があったという。

明治6年(1873年)、郷社に列し、その際に、幣殿・拝殿が整備された。明治13年(1880年)、県社に昇格した。

昭和43年(1968年)9月、附近に県営ダム建設計画が上がり、水没の危険があったため、昭和51年(1976年)1月、地上げし、現在の場所へ社殿を遷座させた。

例祭は10月第4日曜日で例大祭。秋祭で、神輿2基、子供神輿1基、花2組が出る。春祭が4月29日、八朔祭が8月第3土曜日。

境内社に、大歳神社・宇受売神社、稲荷神社、早滝神社、総神社、八幡神社(誉田別尊仲哀天皇神功皇后を配祀)などがある。

八幡神社は、摂社として本殿に次いで重要視され、古く河会郷中の福本神社、大栄神社、奥神社、三保神社、磐渕神社、上山神社、威剱神社、横尾神社を合祭、八社様とも呼ばれた。

狛犬は、室町期に渋谷国綱が寄進したものと伝わる。ただし、平成になり、一基が盗まれたという。

【ご利益】
身体壮健、リフレッシュ、技芸上達、厄災除け
天石門別神社 岡山県美作市滝宮
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