戦国期遷座の式内論社・小内神社の旧地、枯木の御神木
[住所]長野県長野市若穂綿内2351
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諏訪社(すわしゃ)は、長野県長野市若穂綿内にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

宮王神社の由緒によれば、奈良時代の天平9年(737年)、霊峰妙徳山(明徳山)頂に越智泰澄神融が白鬚大明神(可美摩遅命)を祀り、越智神社の本宮を開基した。

その前宮が、宮王神社の南方の踊原に、本宮とほぼ同じ時期に建立され、平安時代初期には宮王神社の地に遷座した。

この越智神社が、『延喜式神名帳』にある「越智神社(信濃国・高井郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

越智神社は、鎌倉時代に麓の清水の当社地に遷座し、さらに戦国時代の永世元年(1504年)に再度遷座、現在の小内神社である。

つまり、当社は式内論社の旧地である。その後の詳細は不詳だが、現在は健御名方命を祀る。

境内に御神木がある。朽ちて、屋根がかけられている。江戸時代中期の正徳年間(1711年-1715年)、村内に疱瘡が流行し、長幼の別なく感染して死者も多くなった。

これを憂い、疱瘡撲滅に向けて祈祷祭を斎行したところ、社頭の鬱蒼とした大樹は樹皮の間から濃汁が流出し、木の葉が萎びて枯木となった。

それに反比例するように、患者の病状が回復した。これにより村民が枯木に雨覆いを設け、神霊の著しきを敬仰するようになったと伝える。

現在の屋根はもちろん、当時のものではないだろう。何代目かのもののはずで、屋根をかけ、感謝の気持ちを忘れない伝統が、今も脈々と続いているということだろう。

境内社に、皇大神社、秋葉社、八幡社、養蚕社がある。

なお、式内社「越智神社」の論社は、先の小内神社の他、須坂市幸高中野市越に式内同名神社がある。

【ご利益】
病気平癒、病魔退散、身体壮健
諏訪社 長野県長野市若穂綿内
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