平安前期の創建、歴代領主から庇護、江戸前期社殿と青獅子、ケヤキ
[住所]長野県中野市安源寺572-1
[電話]0269-26-3181
小内八幡神社(おうちはちまんじんじゃ)は、長野県中野市安源寺にある神社。長電長野線の信州中野駅の西約3.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 高井郡「小内神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
平安時代前期の貞観年間(859年-877年)に勧請され創建された。御祭神は、応神天皇・大気都姫神・神功皇后。大日孁命を合祀する。
歴代領主からも崇敬され、中世には周辺を支配した高梨頼親が社領の寄進などを行い、領内筆頭神社として庇護したという。
市指定有形文化財『社家片山文書』によれば、戦国時代の永禄4年(1561年)、川中島合戦により境内が荒廃。
安土桃山時代の天正10年(1582年)、高梨頼近が社領10貫を寄進、さらに天正17年(1589年)、社領100貫を寄進し、社殿が再建された。
江戸時代に入り、飯山藩主から庇護され、寛文5年(1665年)には藩主である松平忠倶が社殿の造営し、伝統とされる「馬市」を再興した。
この時のものが、現在の本殿である。桁行319センチ、梁間210センチ、向拝418センチの三間社流造。市指定有形文化財。
また、この社殿完成時に旅芸人から教わった江戸神楽が青獅子として今に伝わり、今も例祭に奉納される。市の無形民俗文化財に指定されている。
当地が天領になっても、江戸時代中期の安永年間(1772年-1781年)の馬市の際には、中野天領陣屋から紋幕や高張提灯などが貸与され、足軽が警備のために派遣された。
そのため、この馬市は、「御幕の市」と呼ばれるようになったという。
中世以降は庄内八幡宮と称していたが、寛延3年(1750年)、吉田家から小内八幡の社号を得た。
江戸時代後期には、小林一茶が参詣している。訪れた当日が例祭で、遠近から多くの参拝者が集まり、賑っていたことが記録されている。
境内には、文化4年(1807年)に一茶が詠んだ下記の句が刻まれた句碑がある。
例祭は9月15日。先の青獅子が奉納され、獅子の口と尾につけた花火がはげしく揺れ、観衆を魅了する。また、豊栄の舞、浦安の舞などが奉納される。
境内には随神門などがある。境内社に、天満社、諏訪社がある。諏訪社には御柱が立っている。
鳥居から続く約300メートルの参道の両脇にはケヤキの巨木が十数本林立して並木と社叢を形成しており、市の天然記念物に指定されている。
なお、式内社「小内神社」の論社は他に、長野市若穂綿内の式内同名神社、上高井郡小布施町の欅原神社がある。
【ご利益】
厄災除け、子宝・安産、身体壮健、病魔退散

【関連記事】
・長野県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長野県に鎮座している神社の一覧
[電話]0269-26-3181
小内八幡神社(おうちはちまんじんじゃ)は、長野県中野市安源寺にある神社。長電長野線の信州中野駅の西約3.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 高井郡「小内神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
平安時代前期の貞観年間(859年-877年)に勧請され創建された。御祭神は、応神天皇・大気都姫神・神功皇后。大日孁命を合祀する。
歴代領主からも崇敬され、中世には周辺を支配した高梨頼親が社領の寄進などを行い、領内筆頭神社として庇護したという。
市指定有形文化財『社家片山文書』によれば、戦国時代の永禄4年(1561年)、川中島合戦により境内が荒廃。
安土桃山時代の天正10年(1582年)、高梨頼近が社領10貫を寄進、さらに天正17年(1589年)、社領100貫を寄進し、社殿が再建された。
江戸時代に入り、飯山藩主から庇護され、寛文5年(1665年)には藩主である松平忠倶が社殿の造営し、伝統とされる「馬市」を再興した。
この時のものが、現在の本殿である。桁行319センチ、梁間210センチ、向拝418センチの三間社流造。市指定有形文化財。
また、この社殿完成時に旅芸人から教わった江戸神楽が青獅子として今に伝わり、今も例祭に奉納される。市の無形民俗文化財に指定されている。
当地が天領になっても、江戸時代中期の安永年間(1772年-1781年)の馬市の際には、中野天領陣屋から紋幕や高張提灯などが貸与され、足軽が警備のために派遣された。
そのため、この馬市は、「御幕の市」と呼ばれるようになったという。
中世以降は庄内八幡宮と称していたが、寛延3年(1750年)、吉田家から小内八幡の社号を得た。
江戸時代後期には、小林一茶が参詣している。訪れた当日が例祭で、遠近から多くの参拝者が集まり、賑っていたことが記録されている。
境内には、文化4年(1807年)に一茶が詠んだ下記の句が刻まれた句碑がある。
艸花を よけて居るや 勝角力明治6年(1873年)、郷社に列した。電灯の馬市は昭和30年(1950年)に廃止されている。
例祭は9月15日。先の青獅子が奉納され、獅子の口と尾につけた花火がはげしく揺れ、観衆を魅了する。また、豊栄の舞、浦安の舞などが奉納される。
境内には随神門などがある。境内社に、天満社、諏訪社がある。諏訪社には御柱が立っている。
鳥居から続く約300メートルの参道の両脇にはケヤキの巨木が十数本林立して並木と社叢を形成しており、市の天然記念物に指定されている。
なお、式内社「小内神社」の論社は他に、長野市若穂綿内の式内同名神社、上高井郡小布施町の欅原神社がある。
【ご利益】
厄災除け、子宝・安産、身体壮健、病魔退散

【関連記事】
・長野県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長野県に鎮座している神社の一覧
コメント