子檀嶺山(子檀嶺岳)、胡麻の禁忌、近世には諏訪大明神
[住所]長野県小県郡青木村田沢(中社。奥社・里社)
[電話]-
子檀嶺神社(こまゆみじんじゃ)は、長野県小県郡青木村にある神社。奥社・中社・里社の三社で構成される。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 小県郡「子檀嶺神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
標高1223メートルの子檀嶺山(子檀嶺岳)の山頂に奥社があり、田沢温泉への途中、字宮下に里社があり、奥社と里社の間ぐらい、字細久保(田沢)に中社がある。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は木俣神とされているが、『日本三代実録』では駒弓神とある。
当地周辺は信濃十六牧の一つ塩原牧に属し、馬の産地でもあり、牧場の守護神とも考えられている。
里社は江戸時代まで現在地の東南東1.5キロの地に鎮座していたが、洪水により流出し、現社地に遷座したとも伝えられている。
そのために、里社の現社地からは子檀嶺山を見ることができないともされる。
戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、諏訪神(健御名方富神)を合祀した。旧二ヵ荘の総社で、3000余戸の産土神になった。
江戸時代には中社を「かんにや小社」、あるいは小檀大明神と呼び、里社を諏訪大明神、大明神とも称し、三社合わせて諏訪大明神と称したという。
そのため、現在までにも祀られているともされる。明治14年(1881年)4月20日、現社号に改称した。昭和20年(1945年)、県社に列した。
例祭は10月5日。神楽獅子が伝わるという。
当地、青木村では胡麻を作ってはならないという言い伝えがある。子檀嶺山の神が、葦毛の駒に乗って立谷坂で落馬し、胡麻殻で眼を突いて傷を負ったため。
これを胡麻忌(こまいむ)という。子檀嶺(こまゆみ)からの転訛か、この禁忌に基づいて地名ができたか。
子檀嶺山山頂に奥社を持つ神社は、当社の他に、村松神社、子檀神社がある。式内社「子檀嶺神社」は子檀嶺山を御神体山とする神社、それら三社の総称との説がある。
なお、一般的に式内社「子檀嶺神社」の他の論社に、上田市武石の当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、武運長久・勝運
【関連記事】
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子檀嶺神社(こまゆみじんじゃ)は、長野県小県郡青木村にある神社。奥社・中社・里社の三社で構成される。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 小県郡「子檀嶺神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
標高1223メートルの子檀嶺山(子檀嶺岳)の山頂に奥社があり、田沢温泉への途中、字宮下に里社があり、奥社と里社の間ぐらい、字細久保(田沢)に中社がある。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は木俣神とされているが、『日本三代実録』では駒弓神とある。
当地周辺は信濃十六牧の一つ塩原牧に属し、馬の産地でもあり、牧場の守護神とも考えられている。
里社は江戸時代まで現在地の東南東1.5キロの地に鎮座していたが、洪水により流出し、現社地に遷座したとも伝えられている。
そのために、里社の現社地からは子檀嶺山を見ることができないともされる。
戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、諏訪神(健御名方富神)を合祀した。旧二ヵ荘の総社で、3000余戸の産土神になった。
江戸時代には中社を「かんにや小社」、あるいは小檀大明神と呼び、里社を諏訪大明神、大明神とも称し、三社合わせて諏訪大明神と称したという。
そのため、現在までにも祀られているともされる。明治14年(1881年)4月20日、現社号に改称した。昭和20年(1945年)、県社に列した。
例祭は10月5日。神楽獅子が伝わるという。
当地、青木村では胡麻を作ってはならないという言い伝えがある。子檀嶺山の神が、葦毛の駒に乗って立谷坂で落馬し、胡麻殻で眼を突いて傷を負ったため。
これを胡麻忌(こまいむ)という。子檀嶺(こまゆみ)からの転訛か、この禁忌に基づいて地名ができたか。
子檀嶺山山頂に奥社を持つ神社は、当社の他に、村松神社、子檀神社がある。式内社「子檀嶺神社」は子檀嶺山を御神体山とする神社、それら三社の総称との説がある。
なお、一般的に式内社「子檀嶺神社」の他の論社に、上田市武石の当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
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