白鳳期勧請、独鈷山頂上から北麓へ、信玄も寄進、江戸期社殿
[住所]長野県上田市前山1681
[電話]0268-22-4100

塩野神社(しおのじんじゃ)は、長野県上田市前山にある神社。前山の塩野神社、前山塩野神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 小県郡「鹽野神社/塩野神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

標高1266メートルの独鈷山(とっこざん)の北麓に位置し、その古さを物語る大きく深い森に包まれている。

社前には太鼓橋がかかり、その下には独鈷山の清らかな湧き水が滝となって流れ、それがやがて本流の産川と合流して塩田平を潤している。

社伝によれば、白鳳元年(661年か672年)4月、出雲大社より御分霊を勧請し、鹽野入鷲岩に奉斎したという。

鷲岩は独鈷山の山頂辺くの巨岩。その後、今の塩野に遷座し、塩野大明神(鹽野大明神)と称え、西鹽田村の産土神となった。

御祭神は、素盞嗚尊大己貴尊少彦名尊。ここからは想像しづらいが、水の神として崇敬されたという。

戦国時代の永禄11年(1568年)4月、武田信玄が社領10貫文を寄進、安土桃山時代の天正15年(1587年)には真田昌幸が本村内に7貫文を寄進した。

以降、大宮と称したという。江戸時代中期の元文年間(1736年-1741年)、吉田家に請い、現社号に復した。

明治維新までの社領は2貫858文だったが、維新の際に上地した。

明治6年(1873年)4月、村社に列し、明治28年(1895年)9月には郷杜に、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定され、昭和19年(1944年)には県社に昇格した。

例祭は10月第1日曜日で例大祭。甲子(きのえね)大祭といって、60年ごとの神事が継続され、盛大に行われている。

社殿は江戸時代の建築物。拝殿は寛保3年(1743年)、本殿は寛延3年(1750年)のもの。いずれも市の文化財に指定されている。

拝殿は間口・奥行ともに同じ長さで、楼門造りの二階建て。屋根は切妻で銅板葺。軒の組物などに朱色の色付けがされている。

本殿は、一間社流造。間口、奥行の長さはほぼ同じで向拝がある。屋根は銅板葺。軒の垂木だけが朱色に着色されている。

本殿は特に彫刻の美しさが目を引く。小脇の壁にある、上り竜、下り竜の透し彫り、向拝住や虹梁に刻まれた象、また建物の正面、側面の梁や虹梁にある雲形など。

棟札は、室町時代の文明年間(1469年-1487年)より今日まで、30枚そろっている。

他に、永禄11年の紙本墨書武田信玄の朱印状が伝わり、また、室町時代の作とされる第1面が桐材、第2面が松材の木造獅子頭もあり、前山三頭獅子が伝わる。

前山三頭獅子は、獅子は竜頭で鳥の羽をつけた黒染の麻の装束を着ける。二頭の雄獅子が、雌獅子を競って取り合う動きをみせる。子どもによるささら踊りもある。

参道では以前は流鏑馬神事が行われ、杉並木もある。境内左右には、下諏訪社(事代主命)と上諏訪社(健御名方命)が配置されている。

神橋を渡ると拝殿と本殿。右手には神鎮殿。左手には勅使殿がある。境内社は他に、十二社(飛来姫命)、伊勢社(天照皇大神)、子守社(木花咲耶姫命)などがある。

社殿の南側に大きな岩が立ち並び、その上に石祠がある。いわゆる盤座。社殿の後方に、山上へ続く山道があり、月見堂がある。

なお、式内社「塩野神社」の論社は他に、市内保野に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、病気平癒、リフレッシュ
塩野神社 長野県上田市前山
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