塩垂津彦命を奉斎する大宮、廻り舞台、7月信玄ゆかり祇園祭
塩野神社 長野県上田市保野429
[住所]長野県上田市保野429
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塩野神社(しおのじんじゃ)は、長野県上田市保野にある神社。保野塩野神社、保野の塩野神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 小県郡「鹽野神社/塩野神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

飛鳥時代の白鳳元年(672年)に出雲から勧請したとも、奈良時代の宝亀年間(770年-780年)の奉斎とも伝えられる。

御祭神は鹽垂津彦命(塩垂津彦命)。第10代崇神天皇の時代に活躍した彦国葺命の孫にあたる。

崇神天皇の時、新羅国と争って疲弊した任那国の求めに応じ、任那国に派遣された。身の丈五尺、力は人に勝り、性質も勇悍、とされた。

白鳳当時、百済の帰化人が東国へ送られ、平安初期には小県郡の帰化人に姓を賜るという史実があり、こうした流れの中での創始だと考えられている。

周囲には、口明塚古墳・冨士塚古墳などがある。

永禄年間(1558年-1570年)、武田信玄によって京都祇園社より素盞鳴命が勧請され、配祀された。安土桃山時代の文禄2年(1593年)に社殿造営の記録が残る。

江戸時代前期の元禄15年(1702年)、健御名方命が勧請され、現在は素盞鳴命とともに配祀されている。

江戸時代中期の宝暦7年(1757年)、前山の同名神社との間で、式内論争になった。それ以前は、前山の社を大宮、当社を大明神と区別していたという。

宝暦7年から10年にわたる大論争の末、寺社奉行の裁断で、両社とも「塩野神社」の社名使用を禁止された。

その後、当社を北鹽野神社、前山を南鹽野神社とし、争いを起こさないことが誓われたという。

明治26年(1893年)になって、ようやく現社号へ改称する許可が下りたという。

例祭は4月第3日曜日で、春祭り。7月に「保野の祗園祭」が行われる。素盞鳴命を勧請した武田信玄に起源を持つとされる祭典。

7月22日、当社から行列をつくり、保野公民館近くの仮宮に御神体が渡り、ささら踊りや獅子舞を奉納し、翌日は仮宮から当社に戻り、境内でささら踊りや獅子舞を奉納する。

廻り舞台は明治7年(1874年)に建てられたもの。境内の石垣積の崖を利用した瓦葺き屋根、切妻造の二階建て。市の文化財に指定されている。

用材は「村中のだれが所有する木でも無条件で伐らせる」と約束し合い、人足は無料奉仕だったという。正面の梁の大きさも見事で、当地方における貴重な建物。

境内社に、皇大神宮・蠶影神社・鼠除韓猫明神・白山神社などがある。

【ご利益】
地域安全、武運長久・勝運、厄災除け、病魔退散
塩野神社 長野県上田市保野
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