高社山、山頂の奥社と中社・里社の三社、太々神楽と宣澄踊り
[住所]長野県中野市赤岩563(中社。里社奥社
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高杜神社(たかもりじんじゃ)は、長野県中野市赤岩にある神社。現在までに、里社・中社・奥社の三社構成。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 高井郡「高社神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

標高1351メートルの高社山、その山頂に奥社、麓に里社があるが、その創祀年代は不詳。赤岩の産土神として崇敬された。御祭神は少那彦名之命

奥社は高社山頂第二峰の巌窟に祀られていたが、中世、真言宗神宮寺別当の頃、御祭神を第一峰の小祠へ遷し、巌窟には薬師如来が安置された。

峰の薬師さまと尊称され、高社山信仰として、また修験の霊場として登拝された。

その神宮寺は現在の中社が鎮座する地にあったとされ、鎌倉時代末期の正中年間(1324年-1326年)に一度廃絶した。

その後、曹洞宗の僧宗徒によって再興され、江戸時代前期の寛永年間(1624年-1645年)に、谷巌寺と改称された。

里社は夜間瀬川のそばにあり、集落の上位に位置したが、室町時代の応永13年(1406年)の大洪水によって、集落が山側へ移動した。

明治5年(1872年)、神仏分離により第二峰巌窟の薬師仏を廃し、御祭神ももとに戻され、明治6年(1873年)4月、村社に列した。

集落の移動によって、長らく里社が集落の下位になっていたが、明治13年(1880年)、集落の上位である神宮寺の地に中社を建立し、現在の三社構成になった。

明治31年(1898年)11月に県社に昇格した。

現在までに奥社の御祭神は、少那彦名之命と大国主之命。中社は、奥社の遥拝所として奥社祭神を祀っているが、里社では他に、建御名方命が祀られている。

ただし、諏訪神である建御名方命に、高杜神がいるため、当社名から考えれば、もともとの御祭神は高杜神ではないかとの指摘がある。

高社講があり、赤岩の太々神楽と赤岩の宣澄踊りが伝わる。いずれも市の無形民俗文化財に指定されている。

本殿の左手に境内社として宣澄社がある。戸隠神社の修験者だった宣澄霊人を祀る社。

戸隠講に当社側が盆じゃもの系統の踊りを譲る代わりに、宣澄さんの信仰を持ち帰ったという。

この盆じゃもの系統の踊りが、赤岩の宣澄踊りで、七七五の歌詞の後半を反復す る歌謡にゆったりとした素朴な振り付けをしたもの。

宣澄踊りは盆踊りだとされ、宣澄さん信仰とその祭事に、風流あるいは願踊りとして取り入れられたと考えられる。

現在は、毎月1日と15日の2回、高杜講を中心に宣澄さんを信仰する人々が宣澄社で踊られている。

他の境内社に、秋葉社(火之迦具土神)、飯綱社(保食神)、水神社(罔象女神)、山神社(大山祇神)、豊蚕宮(豊受姫神)などがある。

なお、式内社「高杜神社」の論社は他に、上高井郡高山村に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
病気平癒、縁結び、事業成功、諸願成就
高杜神社 長野県中野市赤岩
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