治田庄更科郷28ヶ村の総社・下の宮、児玉幸多、7月に祇園祭
[住所]長野県千曲市稲荷山1650-1
[電話]026-272-3504

治田神社(はるたじんじゃ)は、長野県千曲市稲荷山にある神社。篠ノ井線の稲荷山駅の南西約3.5キロ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 更級郡「治田神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

社伝によれば、第21代雄略天皇8年(463年)、彦坐命の五世孫である日子王が、当地へ下向し、創建した。

口碑によれば、創祀年代は不詳とされ、白鳳5年(676年)に再建、鎌倉時代の寿永2年(1183年)、室町時代の永亨8年(1436年)、兵火により焼失。

宝徳3年(1451年)に再建されたと伝えられる。この時、治田庄更科郷28ヶ村の総社と称されていたという。

当社から南西1キロの桑原に同名の神社が鎮座しており、式内論社。当社を下の宮、桑原の社を上の宮と呼ぶ。

一説には、昔、現社地裏手の治田山に鎮座していた社が、麓の上下社に分祀された結果だともいわれる。

武田信玄の川中島侵攻に際し、その威を恐れ、社号を諏訪明神と改め、江戸時代まで上下諏訪明神と呼ばれていた。

この二社分祀、上下社は信濃国一宮である諏訪大社との類似が指摘される。

江戸時代中期の天明2年(1782年)、上下社とも旧名に復した。上の宮は御祭神を変えず、諏訪神を祀っているが、当社では治田大神に改めたようだ。

現在までに倉稲魂命と、諏訪神の頃の名残としての事代主命を配祀する。明治14年(1881年)6月、郷社に列し、明治33年(1900年)には県社に昇格した。

例祭は9月20日。7月には夏祭りとして稲荷山祇園祭があり、第3日曜日には神輿の全町渡御がある。

境内社に、津島宮、北野天満宮、高市社、三峯社、秋葉社、庚申塚、道祖神などがある。鳥居の前には、治田池が溜まっており、公園がある。

現在の社標の字は、文学博士の児玉幸多によるもの。千曲市出身の日本史学の泰斗で、当社の禰宜家の出。

児玉幸多は学習院大学教授・学長を務め、皇室教育の重鎮で、敬宮愛子内親王の命名に関わったことでも知られている。

【ご利益】
家内安全、地域安全、厄災除け、病魔退散、商売繁盛
治田神社 長野県千曲市稲荷山
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