孝元朝の創祀、崇神朝からの神宝「児玉石」は今も増減、豊凶占う
玉依比賣命神社 長野県長野市松代町東条443
[住所]長野県長野市松代町東条443
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玉依比賣命神社(たまよりひめのみことじんじゃ)は、長野県長野市松代町東条にある神社。篠ノ井駅の東約8.5キロ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 埴科郡「玉依比売命神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

社伝によれば、第8代孝元天皇16年4月16日、現在地より東に1キロほど、現在の岩沢にあたる斎川の地に勧請したと伝わる。

あるいは、第10代崇神天皇の御宇、科野国造建五百建命が一川の地に創建し、60個の勾玉を納めて神宝「児玉石」としたという。

主祭神は玉依比賣命。初代神武天皇の母だが、児玉石にちなむ神名との指摘もある。

当初の鎮座地から、後に磯並に遷座。鎌倉時代の寛喜2年(1230年)、現在地に遷座した。

近世には、池田宮磯並三所大明神と称され、海津城(松代城。永禄2年(1559年)より築城)の鎮守として、代々の城主に崇敬された。

現社殿は天保4年(1833年)に改築された、八棟造りを模した荘厳な建築。明治6年(1873年)4月、郷社に列し、昭和20年(1945年)12月、県社に昇格した。

古墳時代からの翡翠の勾玉・管玉などを主とした児玉石は、年々個数が増減するといわれている。

毎年、児玉石神事の際に数を数え、玉が増えていれば豊年、減っていれば凶年となるという。

児玉石神事は、正月6日の午後に行われる御田祭の翌日、7日早朝より、氏子総代たちによる五穀御判事と並行して行われる。

児玉石は上述の通り、最初は60個だったが、遷座した寛喜2年8月、洪水で社殿が大破して流出し、大石5個、中石7個、小石9個の合計21個になった。

その後、江戸時代中期の寛永3年(1706年)には292個、江戸時代後期の安政4年(1857年)には692個になった。

昭和4年(1929年)には762個となり、昭和53年(1978年)には784個。平成23年(2011年)には827個になった。

現在までに、天照皇太神建御名方命素戔鳴命を合祀している。

【ご利益】
五穀豊穣、子宝・安産、厄災除け、開運招福
玉依比賣命神社 長野県長野市松代町東条
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