勘助島の開拓者が江戸前期に勧請、姫嶋龍神社の地に遷座
[住所]大阪府大阪市大正区三軒家東2-7-18
[電話]06-6551-5175
八坂神社(やさかじんじゃ)は、大阪府大阪市大正区三軒家東2丁目にある神社。近代社格では村社。通称は「上のやさかさん」。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社地から南西600メートルほど、三軒家東6丁目に、「八阪」神社がある。
両社は「さか」の字が違うものの、よく混同される。6丁目の八阪社が下の宮と呼ばれるのに対して、当社は上の宮と呼ばれる。
江戸時代前期の正保4年(1647年)、勘助島の開拓者である木津勘助が新田開発の鎮守として、京の八坂神社の御分霊を丸島に勧請したのに始まる。
御祭神は、素戔嗚命。江戸時代中期の宝永4年(1707年)、大地震と津波で被害を受けた。正徳年間(1711年-1716年)、現在地へ遷座した。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治41年(1908年)7月17日には難波島の八阪神社を合祀した。
明治42年(1909年)1月19日、千島町の天神社を合祀、同年6月には神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和20年(1945年)、戦災で焼失したが、戦後になり、昭和32年(1957年)に再建された。
現在までに、天之日穗命・応神天皇を併せて祀る。例祭は10月17日で、秋季例大祭。7月16日には夏季大祭がある。
境内社に、姫嶋龍神社(天之一根命。例祭は5月23日で姫嶋祭)、千島町鶴の割にあった無格社汐止天神を合祀した天満宮(菅原道真)がある。
この姫嶋龍神社が、もともと当社が正徳年間に当地に遷座してくる前まで、当地に鎮座していたものと考えられる。
名称から「姫島」、大阪に多い、比売許曽神社・赤留比売命神社・姫嶋神社などとの関連が指摘される場合がある。
また、当社境内には、慶長15年(1610年)に中村勘助が大阪港湾の基礎建設の記念として植樹した御神木「八垂銀杏樹」の崇拝所や、その顕彰碑などがある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、五穀豊穣、地域安全(公式HP)
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・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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八坂神社(やさかじんじゃ)は、大阪府大阪市大正区三軒家東2丁目にある神社。近代社格では村社。通称は「上のやさかさん」。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社地から南西600メートルほど、三軒家東6丁目に、「八阪」神社がある。
両社は「さか」の字が違うものの、よく混同される。6丁目の八阪社が下の宮と呼ばれるのに対して、当社は上の宮と呼ばれる。
江戸時代前期の正保4年(1647年)、勘助島の開拓者である木津勘助が新田開発の鎮守として、京の八坂神社の御分霊を丸島に勧請したのに始まる。
御祭神は、素戔嗚命。江戸時代中期の宝永4年(1707年)、大地震と津波で被害を受けた。正徳年間(1711年-1716年)、現在地へ遷座した。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治41年(1908年)7月17日には難波島の八阪神社を合祀した。
明治42年(1909年)1月19日、千島町の天神社を合祀、同年6月には神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和20年(1945年)、戦災で焼失したが、戦後になり、昭和32年(1957年)に再建された。
現在までに、天之日穗命・応神天皇を併せて祀る。例祭は10月17日で、秋季例大祭。7月16日には夏季大祭がある。
境内社に、姫嶋龍神社(天之一根命。例祭は5月23日で姫嶋祭)、千島町鶴の割にあった無格社汐止天神を合祀した天満宮(菅原道真)がある。
この姫嶋龍神社が、もともと当社が正徳年間に当地に遷座してくる前まで、当地に鎮座していたものと考えられる。
名称から「姫島」、大阪に多い、比売許曽神社・赤留比売命神社・姫嶋神社などとの関連が指摘される場合がある。
また、当社境内には、慶長15年(1610年)に中村勘助が大阪港湾の基礎建設の記念として植樹した御神木「八垂銀杏樹」の崇拝所や、その顕彰碑などがある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、五穀豊穣、地域安全(公式HP)
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