豊城入彦命が上陸・平定した地、奈良期の創建、奇祭ふなすし切り祭
[住所]滋賀県守山市幸津川町1356
[電話]077-585-3380

下新川神社(しもにいかわじんじゃ)は、滋賀県守山市幸津川町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「下新川神社(近江国・野洲郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

第10代崇神天皇の第一皇子豊城入彦命が、東国平定のために、湖西より丸太のイカダで渡り、この地を平定・幸津川の里と命名した。

現在も境内向いに舟着場跡が残る。この際、豊城入彦命は新川小楯姫命という水神を祀ったとされる。大新川命と小楯姫命の2柱とも。

社伝によれば、奈良時代の霊亀元年(715年)、小祠を建立したのが当社の始まりだという。

御祭神は、豊城入彦命と小楯姫命。平安時代、『日本三代実録』貞観11年(869年)、正五位下に叙せられた。

清和天皇の寵愛を受け、比叡山延暦寺第三座主慈覚大師が御祭神の末裔であるとして、仁和元年(885年)、正五位上に叙せられた。

室町時代の応永29年(1423年)、東般若院の令旨により、社殿が造営された。この時の棟札が現存する。

戦国時代の延徳2年(1490年)、大明神号が下附され、正一位に叙せられた。その勅願も現存する。

江戸時代前期の寛永15年(1644年)、遷宮が行われ、寛文2年(1662年)にも遷宮が行われた。

江戸時代中期の享保2年(1717年)、本殿が再建された。これが現在の本殿。

明治18年(1885年)、郷社に列し、昭和6年(1932年)には県社に昇格した。昭和31年(1956年)、拝殿が再建された。

例祭はもとは4月上の辰の日だったが、現在は5月4日・5日。鮒鮨切り祭で、長刀踊・練鼓(かんこ)の舞とともに国選択の無形文化財。

鮒鮨切り祭は、ふなすし切り祭、すし切り祭とも呼ばれ、御祭神の豊城入彦命に、ふなの塩漬けを焼いて献上したところ、大層喜ばれたという故事が起源という。

神事は裃姿に脇差を差した当番の若者二人が古式通りにふなずしを調理。真魚箸という鉄製の箸と包丁を両手に持ち、まな板に載せられたふなずしを切り分ける。

その所作をピタリと合わせ、すべて無言で行われる。介添え役はすし切り役を務めたことのある「板直し」と呼ばれる先輩二人。

かいがいしく汗を拭いたり、ユーモラスな面もあり、観客からも笑いがこぼれる。各家の成人した長男が行うことになっており、古いしきたりが色濃く残っているとされる。

境内社に、愛宕神社・鹿島神社・白山神社・龍神社・牛神社がある。

境外摂社に通称小宮さんと呼ばれる大水口神社(罔象姫命)、伏見稲荷を勧請した雛鶴稲荷神社(宇迦魂命)がある。

【ご利益】
交通安全、武運長久・勝運、地域安全、一族・子孫繁栄
下新川神社 滋賀県守山市幸津川町
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下新川神社 滋賀県守山市幸津川町の御朱印