白鳳期の創祀、頼朝が八幡を合祀、水口城と16ヶ村の鎮守
[住所]滋賀県甲賀市水口町北脇189
[電話]0748-62-3339

柏木神社(かしわぎじんじゃ)は、滋賀県甲賀市水口町北脇にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「石部鹿塩上神社/石部鹿鹽上神社(近江国・甲賀郡)」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では県社

社伝によれば、飛鳥時代の白鳳元年(673年)、あるいは白鳳以前の創祀だという。もとは日吉宮、日吉山王宮と称していた。御祭神は大己貴命

鎌倉時代の建久年間(1190年-1199年)、源頼朝が上洛に際して、鎌倉の鶴岡八幡宮より御分霊(誉田別尊)を勧請、合祀して、以後、若宮八幡宮と称されるようになった。

現在までに、配祀神には誉田別尊の他、川島皇子がいる。天智天皇の第二皇子。どのようなつながりなのかは不明。

当地は、中世より伊勢の神宮(伊勢神宮)の柏木御厨として知られ、元徳3年(1331年)の検注帳には神田3町の社領があった。

戦国時代、京の公家で、『歌道鈔』『富士歴覧記』などの著書がある飛鳥井雅康は、戦乱を逃れて当地に閑居し、以後その子孫が当社の祠官として仕えたという。

天正8年(1580年)、織田信長の軍勢が当地を攻めた時、桜門は安土の総見寺に移築され、宝物・古文書などは焼失した。

近世において、柏木荘16ヶ村の鎮守、総社として崇敬された。寛永9年(1632年)、水口城が築城された時、城主により守護神として崇め、以後歴代城主の祈願所になった。

承応4年(1655年)、水口城代の山口但馬守は本殿・桜門を修復し、石灯籠・手水鉢を寄進した。

明治4年(1871年)、現社号に改称して、明治9年(1876年)には村社に列し、大正11年(1922年)には郷社に、昭和20年(1945年)には県社に昇格した。

例祭は4月20日。9月第2土・日曜日に八幡祭がある。他に、子酒まいり、宮ごもり、人形祈願などの神事がある。

境内社に、大行神社・稲荷神社が、境外社に日枝神社がある。

社宝・文化財として、鎌倉時代の作とされる不動明王二童児像掛軸1幅、大永4年(1524年)の起請文、火矢・連歌・詩歌近江八景がある。

なお、式内社「石部鹿塩上神社」の論社は他に、湖南市の石部東の吉姫神社、石部西の吉御子神社がある。

【ご利益】
厄災除け、病気平癒、スポーツ・技芸上達、交通安全
柏木神社 滋賀県甲賀市水口町北脇
【関連記事】
滋賀県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
滋賀県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、滋賀県に鎮座している神社の一覧
柏木神社 滋賀県甲賀市水口町北脇の御朱印