旧社地に幹周り2丈あまりの楢の木、遷座繰り返して論社多数
楢本神社 石川県白山市宮丸町1
[住所]石川県白山市宮丸町1
[電話]076-275-0578 - 松任金剣宮

楢本神社(ならもとじんじゃ)は、石川県白山市宮丸町にある神社。現在は松任金剣宮の兼務社である。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「楢本神社(加賀国・石川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

第40代天武天皇4年(675年)の創立と伝えられる。当初は大宮宝社と称して、宮丸荘宮丸村の古名である楢本一村の産土神だった。

御祭神は伊弉冉尊。平安時代の延喜年間(901年-923年)、現社号に改称した。旧社地境内に幹周り2丈あまりの楢の木があったため。

平安当時は、多くの社領を有し、加賀国の中でも著名な神社だったという。

天暦年間(947年-957年)、比楽川、現在の手取川が大氾濫し、社殿が流失した。そこで、御神体を仮に同村館社跡に移した。

現在の宮東地内の館薮という所がその遺跡とされる。その旧社地は、その後、田畑となり、跡地にその遺跡を示す石碑がある。

長久4年(1043年)、村民が相談して、現社地である同村小字宮田に新たに社殿を造営して遷祀した。

天台宗の宝誓寺吉本坊が当社の別当だったが、しばらくして同坊は越前国に移り、当社は無住になったという。

安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)になり、同じく天台宗聖護院宮末派持宝院住僧が別当となった。これが現宮司の高畠家の先祖となる。

村内にあった舘社、住吉社、春日社、金戸社、天神社の5社を合祀。

明治に入り、当社は村社に列したが、明治29年(1896年)3月には郷社に、明治34年(1901年)10月には県社に昇格した。

明治40年(1907年)3月、小字免田の宮丸菅原神社、小字刈谷の苅舎神社、小字大割の住吉神社、小字道村の古本八幡神社の四社を合祀した。

合祀神は現在までに、菅原道真応神天皇少彦名命上筒男命中筒男命底筒男命住吉三神

式内社「楢本神社」の論社は他に、市内の下柏野町上柏野町に当社および式内同名神社がある。

明治期には論争があり、特に下柏野と当社は激しく争ったという。困惑した石川県は、占い・おみくじによって神慮を伺うこととした。近代日本の一側面。

現在地は比較的離れてしまったが、当社の鎮座地は手取川とゆかりが深く、たびたびの氾濫があり、遷座を繰り返したため、遷座・分祀が繰り返され、論社も増えたとされる。

例祭は10月18日。宮丸地内に梅の木を植えてはならないという禁忌がある。御祭神が梅の木枝によって眼を突き刺されたためだという。

【ご利益】
厄災除け、子宝・安産、地域安全、家内安全
楢本神社 石川県白山市宮丸町
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