飛鳥朝の創設、池を埋めたための祟り、近世・近代の火災と御神体
本村井神社 石川県白山市村井町マ1-1
[住所]石川県白山市村井町マ1-1
[電話]076-275-1883

本村井神社(もとむらいじんじゃ)は、石川県白山市村井町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「本村井神社(加賀国・石川郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

飛鳥時代末期の大宝2年(702年)、創設されたと伝わる。御祭神は少彦名命

旧本殿の跡から現在の8号線バイパス、樋爪地区にかけて大きな池があった。子供達が遊び、たびたび落ちて命を失ったので、村人達は埋めてしまった。

やがて付近の村人達に悪い病気が流行り、農作物も毎年不作となったため、村の郷士が天の神、地の神に日夜祈り続けた。

ある日、郷士の枕元に少彦名命が現れ、災いが池を埋めてしまったことが原因で、池があった所に社を建立せよと神託した。

翌日からそのようにし、神社が創設されると、村人達は参拝を続けた。そうすると、疫病もなくなり、豊作が続くようになったという。

この郷士は、後に村井備中神九郎と名乗り、代々神職を務めるようになった。現在の中村地区の「シンクロダ」と呼ばれているところに住居があったという。

また、武衛地区の西方に郷田(ごうでん)と呼ばれる地には、神九郎の弟が住み、当社に奉仕したと伝わる。

この広大な社地には老杉がおい茂り、周囲には再び大きな池ができた。この池の水を灌漑利用し、また飲料水としても使われたという。

村井の地名の由来は、こうした池にまつわる伝承によるものだという。

江戸時代になり、その前期の寛文5年(1665年)、原因不明の出火があり、全焼。駆けつけた村人達は御神体を金沢市野町の神明宮に移した。

江戸時代後期の文政10年(1827年)になって再建。現社号に定まった。御神体は2年ごとに神明宮から移すのを例とした。

明治5年(1872年)4月、御神体を神明宮から迎えた。しかし、明治16年(1883年)12月9日、再び火災に遭い、神輿、祭具一切が焼失。

明治20年(1887年)に再建され、明治40年(1907年)には境内社八幡社(応神天皇菅原道真)、境外社市杵島姫社(市杵姫命)を本社に合祀。

境外社や稲荷社(宇賀御魂命)をそれぞれ本社の相殿として祀った。昭和10年(1935年)には本殿が改築された。

【ご利益】
病気平癒、病魔退散、五穀豊穣、商売繁盛
本村井神社 石川県白山市村井町
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