崇神朝の創祀、奈良期に奉幣、木曽義仲ゆかり、煎粉祭や筍祭
笠間神社 石川県白山市笠間町1
[住所]石川県白山市笠間町1
[電話]076-275-0513 - 若宮八幡宮

笠間神社(かさまじんじゃ)は、石川県白山市笠間町にある神社。現在は若宮八幡宮の兼務社である。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「笠間神社(加賀国・石川郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

社伝によれば、第10代崇神天皇の御代、大宮比咩神を奉斎して鎮座したという。現在までに、相殿に住吉三前大神少彦名大神をも祀り、八幡大神を配祀する。

奈良時代の和銅3年(710年)、すでに奉幣があったという。往古は社家・社僧が多数居住し、舘屋敷・三郎屋敷・源右衛門屋敷・坊子薮・大門大御堂経塚などの地名が残る。

正三位笠間明神と称え、笠間村・北島村・宮保村・黒瀬村・石立村・松本村・小川村からなる笠間郷の総社で、近郷稀にみる名社とされた。

笠間八幡・宇佐八幡とも呼ばれが、一時期、宮保八幡とも称された。当社地が現在の宮保八幡神社と隣接していたことによる。

中世には当社神主が東保、西保の二保に分かれ、これにあわせて民家も東西に分離。笠間村を旧西の保、宮保村を旧東の保と呼んだ。

この宮保の八幡は、木曾義仲(源義仲)ゆかりで、寿永2年(1183年)、加賀合戦において、平家を追撃して義仲が当地に至った。

その時、ちょうど手取川が洪水、渡河できなかった。そこで減水と戦勝を祈願したところ、水が引いたと伝わる。義仲は大いに喜んだという。

また、義仲は当地で煎粉(いりこ)で空腹を満たしたといい、その時使用した井戸を義仲弓堀の井と呼んだ。弓堀の井は境内に現存する。

現在も、11月15日には煎粉祭が斎行される。別名義仲祭で、神前に煎粉を供え、神事の後に氏子一同もともに食し、御神徳を称えるという。

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治7年(1874年)8月には宮保八幡神社が附属、当社の摂社となった。

明治30年(1997年)9月16日に県社に昇格、明治39年(1906年)12月29日、神饌幣帛供進社に指定された。

例祭は6月23日で、筍祭。生の筍を供える。

参道入口には足だけの八字鳥居がある。これは、倉光村の善右衛門という力持ちが、さらに大力を祈願し奉納したもの。

しかし、その途端、足だけ残して崩れ落ちてしまったという。その後、当社では石鳥居は神意に叶わぬと伝えられている。

また、境内には、もと境内社で、現在は本社相殿に祀られている少彦名社址がある。昭和36年(1961年)の第2室戸台風で崩壊したもの。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、諸願成就、病気平癒
笠間神社 石川県白山市笠間町
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