交野物部の地、京都遷都後に住吉神に、春日移しとだんじり
[住所]大阪府交野市私部1-36-3
[電話]072-892-0383

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、大阪府交野市私部にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

饒速日命を祖とする交野物部の勢力範囲。弥生時代末期に大和鳥見地方から交野地方へ、天野川に沿って磐船谷を下り、移住したものと考えられている。

創祀・創建年代は不詳だが、枚方市枚方の意賀美神社を頂点とする、天野川流域の物部系の神社の一つだと考えられる。

『交野市史』によれば、交野地域は磐船神社(岩戸神社)を頂点として、地域の神社は物部の遠祖饒速日命を御祭神としていたという。

これは、蘇我・物部戦争後も御祭神は変わらなかったという。

しかし、平安時代になると、この地は貴族の遊び場となり、惣社の磐船神社の磐をみて、これは海の神すなわち住吉の神である、となった。

住吉の神は貴族のたしなみでもあった和歌の神でもあり、貴族受けもよかったものと考えられる。

しかし一説には、蘇我・物部戦争後には御祭神の饒速日命を隠す動きがあり、やはり物部系の津守氏の奉祭していた住吉大社の神を表の祭神とした、との見方もある。

御祭神は、底筒男神中筒男神表筒男神住吉三神と、息長帯姫命を含めた住吉四神。

江戸時代には当社内に宮寺として現光寺があったが、明治初めに廃寺になっており、その場所は現在は社務所になっている。

旧私部村の産土神で、近郷16ヶ村の鎮守として崇敬され、旧私部村には宮座が7座あり、時代とともにこれら宮座の家にも興廃があった。

拝殿の前の広場には天正年間(1573年-1592年)から宮座の位置を決めた根石が埋められているという。順序の争いもあったが、宮座も明治には廃止された。

現在の鳥居は、幕末の万延元年(1860年)に建立されたもの。文政8年(1825年)に地震により倒壊したものを氏子総出で私部山より運び再建したもの。

現在の社殿は春日造り。江戸時代に奈良春日大社の第一殿を譲り受けたもの。いわゆる春日移しの一つとなる。

例祭は10月16日。前日の15日が宵宮。各町の辻や道筋に提灯台が立てられ、各家では提灯を吊るし、氏神に献灯する。

宵宮から東西2台の檀尻(だんじり)が賑やかに曳き廻される。本宮では、渡御神事が執行される。召立、御旅所(行宮祭)、町中御神幸からなり、各町が輪番により奉仕する。

4月19日が春祭で郷社祭。境内に釜を据え、お湯を炊き、巫子が笹を使いお湯を振りかける湯立神事が行われる。2月3日は節分祭で、参拝者へ福豆を撒く「豆まき神事」がある。

境内末社に、乾神社(八幡大神・恵美須大神・菅原大神)の他、天照大神・金毘羅大神・稲荷大神・高龗神市杵島姫命を祀る。

乾神社の、恵美須大神が交野戎として知られ、1月にはいわゆる十日戎が行われる。

交野戎講により福笹・吉兆の授与や、甘酒の振る舞い、福引などが行われ、福娘の奉仕もあり、近隣他市からの参拝者で賑わうという。

【ご利益】
厄災除け、交通安全、安産、学業・受験合格(公式HP
住吉神社 大阪府交野市私部
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