鳥養部の居住地、後に京都藤森を勧請、10月例祭で献灯行事
[住所]大阪府摂津市鳥飼西2-1-1
[電話]072-654-5767

藤森神社(ふじもりじんじゃ)は、大阪府摂津市鳥飼西にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀・創建年代は不詳。もとは宇多天皇(在位:887年-897年)の離宮(鳥養院)の所在地だった大字上鳥飼に、小祠が鎮斎されていたという。

天坊幸彦は、この地がもと鳥養部の居住地で、『日本書紀』『新撰姓氏録』にその名があり、その部民が祖先天湯河桁命を祀っていたもの、とする。

周辺は、『延喜式』に近都牧とある都の周辺に設けた六牧の一つで、諸国から運ばれた牛馬を飼育して都に送った鳥養牧跡とされる。

社域が淀川に近く、古来より水害を蒙り、水流によって現在地、大字鳥飼西に流れ着き、鎮座したものと考えられている。

ある年、水害により神輿が流れて吹田に至ったことから、御旅所を高浜神社の境内に置いたという。

『摂津名所図会』に「鳥飼西邑にあり。此の地五ヶ村の産土神なり。例祭九月九日。山州藤杜崇道神敬天皇を勧請せり」とある。

舎人親王を京都藤森神社より勧請した。現在地では、安土桃山時代の天正5年(1577年)までには当地に神社として存在していたという。

現在の本殿は江戸時代前期の寛文4年(1664年)の建立だという。

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治40年(1907年)1月には神饌幣帛料供進社に指定された。

明治41年(1908年)1月15日に鳥飼西の三本松天神社(菅原道真)、鳥飼中の道祖神社、鳥飼上の若宮神社を合祀した。

この三本松天神社は、太宰府に左遷された菅原道真が赴任の途中、鳥飼の地に船を着け、食後自ら楊枝松を植えた地。

「もし若葉を生ぜばこれ帰洛の兆なり」と言ったという。後に生育して3本の幹に分かれ、里人がここに社殿を造営して菅公を祀ったという。

明治43年(1910年)3月、新在家の村社八幡宮を合祀した。新在家八幡宮は別府・一津屋・新在家と3ヶ所の分祀された内の1社。

明治43年(1910年)1月、鳥飼八町の稲荷神社、鳥飼野々の稲荷神社を末社の稲荷神社に合祀した。

例祭は10月18日。前日の17日が宵宮で、鳥飼各地区から提灯行列が宮入りする献灯行事が行われる。

大人の背丈よりも大きな提灯が行列をなして鳥居前に集結し、伊勢音頭を歌い太鼓や鉦を鳴らしながら宮入りし、境内の提灯台へ次々に設置される。

当日は、装飾された各地区の提灯や幟が境内に立ち並ぶ中、祭典が行われ、湯立神楽が奉納される。夕方からは境内及び周辺道路に夜店が並ぶ。

8月1日が夏祭りで、夕方からは境内及び周辺道路に夜店が並び、天神囃子が奉納される。1月15日にはどんど焼き(とんど祭)がある。

境内社に、市杵島神社(市杵嶋姫命)、国狭槌神社(国狭槌尊)、稲荷神社(倉稲魂尊)がある。

古くは慶長19年(1614)、片桐且元が茨木城に入った時に使ったと伝えられる「鳥飼の渡し」があった。昭和8年(1933年)から昭和50年(1975年)まで府営だった。

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藤森神社 大阪府摂津市鳥飼西
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藤森神社 大阪府摂津市鳥飼西の御朱印