式内・許部神社、徳川家康が助けられ庇護、「浜松」地名起源の松
[住所]静岡県浜松市中区八幡町1
[電話]053-411-8111

浜松八幡宮(はままつはちまんぐう)は、静岡県浜松市中区八幡町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「許部神社(遠江国・敷智郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀は第16代仁徳天皇の御代 遠津淡海の鎮静のため、許部の里に海神の玉依比売命を勧請し、奉斎したと伝えられる。

『延喜式神名帳』直後の天慶元年(938年)、神託により許部の里から現在地の曳馬の里に遷座した。

この遷座の際 白狐が老翁の姿で松の小木を携えこの宮地に導き松を移し植えた。この故事により「浜の松」すなわち「浜松」の地名になったとされる。

永承6年(1051年)、源義家が陸奥へ下向の折、当宮の傍らの楠の下に旗を立て、八幡二柱の神(品陀和気命息長足姫命)を勧請した。

これにより、この楠を「御旗の楠」と称するようになった。御祭神の顔ぶれは筥崎宮に準じるが、もともとそうだったのではない、ということになる。

室町時代の永享4年(1432年)、6代将軍足利義教が駿河国に下向の折、「浜の松」の下で富士を遥かに望み、浜松の音は颯々と謡ったという。

里人はこの松を「颯々の松」と称するようになった。現在、境内にあるものは5代目。

戦国時代の元亀元年(1570年)、徳川家康は居城を岡崎より浜松へ移し、当宮が義家ゆかりで、浜松城の鬼門の方位にあることから、鬼門鎮守、鬼門降伏の氏神とした。

元亀3年(1572年)、三方原合戦に敗走した家康は当宮に逃れ、社前の楠の洞穴に潜み、神明の御加護によって武田勢の捜索を逃れたという。

その時、この楠より瑞雲が立ち上ったことから、以後「雲立の楠」と呼ぶようになった。これが現在の当社の御神木。幹回り約13メートル、樹高約15メートル。

その後、家康は当宮を徳川家代々の祈願所と定め、旗、弓、神馬を奉納、家康が江戸に府在の折は、名代を使わして参拝したと伝わる。

慶長8年(1603年)、家康より社領50石の朱印が与えられた。明治になり、郷社に列した。現在までに、相殿に伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀る。

例祭は8月15日で大祭。神輿渡御や浜垢離、放生会、居祭、浦安の舞、手筒花火の奉納などがある。

八幡に放生会はよくあるものの、当宮の場合、家康の願いにより始められたとされ、特殊神事として位置づけられている。

平成5年(1993年)から、京都の吉田神社から伝授された追儺式が行われている。毎年2月2日の夕刻、悪疫を、いわゆる鬼として追い払って平和と幸福を祈願する。

境内摂社に東照宮があり、家康を祀る。江戸時代中期の正徳4年(1714年)に勧請し、奉斎。例祭は4月17日。

境内末社に、浜松稲荷神社がある。御祭神は倉稲魂命大己貴命・大田命・大宮比賣命月夜見命。例祭は2月11日。

なお、式内社「許部神社」の論社は他に、市内西区雄踏町宇布見の息神社がある。

【ご利益】
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浜松八幡宮 静岡県浜松市中区八幡町
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