飛鳥期の創祀、中世に稲荷を勧請、室町期の獅子頭・能面と田遊祭
[住所]静岡県浜松市西区雄踏町宇布見8690-1
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息神社(おきじんじゃ)は、静岡県浜松市西区雄踏町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「息神社(遠江国・敷智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

社伝によれば、飛鳥時代の慶雲2年(705年)の創祀だという。御祭神は、社号に対応するよう、風神で、志那津毘古命・志那都比売神。

ただし、息は「おき」と読み、沖に通じ、海神を祀ることに端を発した社という説もある。他に、「やすみの」「やすら」「そくの」などと読まれる場合もある。

この地は三方原台地の南端に接して、浜名湖に面する沖積平野上で、水田地帯だったと考えられることから、もとに戻って、風神でよいのではないかと思われる。

平安時代の仁寿2年(852年)、従五位下が授けられた。

中古、山城国稲荷大神宇迦之御魂神猿田毘古神大宮比売神)を勧請し、稲の神として、米大明神と称したという。

この「米」が「許部(こべ)」の音に通じるとして、当社を式内社「許部神社」とする説もある。

式内社「許部神社」の論社は他に、市内中区八幡町の浜松八幡宮がある。

南北朝時代の応安(1374年)と永和(1375年)の墨銘のある獅子頭があるという。そこには、「息大明神」とある。

それから100年後ほどの文明9年(1477年)には、「米大明神」とある。普通に考えれば、稲荷の勧請はこの間であり、式内比定の根拠とはならない。

江戸時代前期の慶安元年(1648年)、3代将軍徳川家光より朱印10石の寄進があり、江戸時代後期の寛政10年(1798年)、神祇伯王殿より正一位の神璽を賜った。

明治6年(1873年)、郷社に列し、明治28年(1895年)、米大明神から現社号に復した。明治40年(1907年)、神饌幣帛供進社に指定された。

例祭は10月第2土・日曜日。宇布見祭りとして知られる。以前までは、高下駄を履いた天狗を先頭に稚児行列と神輿を担いだ若衆と、手踊りを含む屋台の行列が練ったという。

現在は、隣町の舞阪町から導入した大太鼓などが奉納される。大太鼓祭りとも呼ばれるようになっている。浜松まつりの影響を受けて、ラッパ隊が登場する。

当社で有名なのは、3月初午の日に行われる田遊祭。宮座を組織している六つの名字の家、中村・吉田・内田・藤田・山内・山下によって実施される。

拝殿内の中央に田所(たどころ)と呼ばれる約2メートル四方の水田に見立てた木枠が設置され、そこを中心に行われる。

また、拝殿正面には天狗・狐・おかめ・翁・おみな(老女)・鬼・般若の7面が掲げられる。当社には室町時代の能面7面が伝わっている。

先の獅子頭とともに、県の文化財に指定されている。

【ご利益】
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息神社 静岡県浜松市西区雄踏町宇布見
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