大国主命を救った2柱の貝の女神、旧暦9月に町民全員参加の祭典
[住所]静岡県浜松市西区舞阪町舞阪1973
[電話]053-592-0304
岐佐神社(きさじんじゃ)は、静岡県浜松市西区舞阪町舞阪にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「岐佐神社(遠江国・敷智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は、蚶貝比賣命と蛤貝比賣命で、アカガイとハマグリの女神。
『古事記』にも描かれた、大国主命を死から救い出した2柱の神。現在までに、市杵島比売命を配祀する。どちらにしろ、いずれも女神だ。
戦国時代の明応7年(1498年)、明応の変とも呼ばれる大津波により、舞澤の郷とともに流されたが、東の松林に神祠が漂着したため、その地に社殿を造営して祀った。
これが現在地になる。周囲に集まって集落を形成したのが36戸であったため、社地周辺を三十六屋敷と呼ぶという。
当地は、象島(きさしま)と呼ばれたが、キサガイが多く採れたためだという。この地名や御祭神名が社号の由来だという説がある。
また、ハマグリは江戸時代、舞坂宿の名物だった。神話の時代から、貝とともに歩んできた土地柄を象徴したような神社だといえる。
古社地についてはよく分かっていない。今の弁天島かもう少し西の方にあったという指摘がある。
安土桃山時代の天正2年(1574年)、本殿を再建。以来、11枚の棟札が保存されている。
慶長6年(1601年)には伊奈忠次より墨印石高3石が与えられ、3代将軍徳川家光以下、歴代将軍より朱印5石が与えられた。
近世には八王子明神社と呼ばれていたが、明治6年(1873年)、郷社に列した。大正元年(1912年)に本殿を造営、大正13年(1924年)に神饌幣帛料供進社に指定された。
平成22年(2010年)の修復事業により、本殿の立て起こし、拝殿・覆屋の屋根瓦葺き替えなどを実施した。
例祭は旧暦9月14日・15日。旧舞阪町内には神社は当社一社のみ。全町民こぞって参加し、町内がまつり一色に包まれる。
慶安元年(1648年)の記録が残り、起源は遅くとも江戸時代前期まで遡れるという祭典。
もともと漁師町なので元気よく、神輿を中心に、直径2.5メートルの大太鼓8台などで、朝から夜が更けるまで町内を練り歩く。
この大太鼓は、当社祭礼の名物の一つであるとともに、隣町の息神社の祭礼にも影響を与えたことが指摘される。
境内社に、ごしんさま(護神様・御親様)がある。天白社と、伊勢の神宮(伊勢神宮)・津島神社・春日大社の御分霊を祀る。
境内には御神木の他、当社主祭神2柱が大国主命を治療するきっかけとなった、大国主命が抱きとめたとされる赤猪石が安置されている。
この赤猪石に触れることで、病気や怪我が平癒し、健康な身体が蘇るとされている。また、榎(えのき)と槙(まき)が根元で寄り添い、結び合っている縁結びの木がある。
なお、式内社「岐佐神社」には論社はなく、当社でほぼ確定しているが、一部の資料では、いくつかの神社を参考社として挙げている場合があるようだ。
【ご利益】
大漁満足、病気平癒、身体壮健、開運招福(公式HP)
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・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
[電話]053-592-0304
岐佐神社(きさじんじゃ)は、静岡県浜松市西区舞阪町舞阪にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「岐佐神社(遠江国・敷智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は、蚶貝比賣命と蛤貝比賣命で、アカガイとハマグリの女神。
『古事記』にも描かれた、大国主命を死から救い出した2柱の神。現在までに、市杵島比売命を配祀する。どちらにしろ、いずれも女神だ。
戦国時代の明応7年(1498年)、明応の変とも呼ばれる大津波により、舞澤の郷とともに流されたが、東の松林に神祠が漂着したため、その地に社殿を造営して祀った。
これが現在地になる。周囲に集まって集落を形成したのが36戸であったため、社地周辺を三十六屋敷と呼ぶという。
当地は、象島(きさしま)と呼ばれたが、キサガイが多く採れたためだという。この地名や御祭神名が社号の由来だという説がある。
また、ハマグリは江戸時代、舞坂宿の名物だった。神話の時代から、貝とともに歩んできた土地柄を象徴したような神社だといえる。
古社地についてはよく分かっていない。今の弁天島かもう少し西の方にあったという指摘がある。
安土桃山時代の天正2年(1574年)、本殿を再建。以来、11枚の棟札が保存されている。
慶長6年(1601年)には伊奈忠次より墨印石高3石が与えられ、3代将軍徳川家光以下、歴代将軍より朱印5石が与えられた。
近世には八王子明神社と呼ばれていたが、明治6年(1873年)、郷社に列した。大正元年(1912年)に本殿を造営、大正13年(1924年)に神饌幣帛料供進社に指定された。
平成22年(2010年)の修復事業により、本殿の立て起こし、拝殿・覆屋の屋根瓦葺き替えなどを実施した。
例祭は旧暦9月14日・15日。旧舞阪町内には神社は当社一社のみ。全町民こぞって参加し、町内がまつり一色に包まれる。
慶安元年(1648年)の記録が残り、起源は遅くとも江戸時代前期まで遡れるという祭典。
もともと漁師町なので元気よく、神輿を中心に、直径2.5メートルの大太鼓8台などで、朝から夜が更けるまで町内を練り歩く。
この大太鼓は、当社祭礼の名物の一つであるとともに、隣町の息神社の祭礼にも影響を与えたことが指摘される。
境内社に、ごしんさま(護神様・御親様)がある。天白社と、伊勢の神宮(伊勢神宮)・津島神社・春日大社の御分霊を祀る。
境内には御神木の他、当社主祭神2柱が大国主命を治療するきっかけとなった、大国主命が抱きとめたとされる赤猪石が安置されている。
この赤猪石に触れることで、病気や怪我が平癒し、健康な身体が蘇るとされている。また、榎(えのき)と槙(まき)が根元で寄り添い、結び合っている縁結びの木がある。
なお、式内社「岐佐神社」には論社はなく、当社でほぼ確定しているが、一部の資料では、いくつかの神社を参考社として挙げている場合があるようだ。
【ご利益】
大漁満足、病気平癒、身体壮健、開運招福(公式HP)
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