武甕槌命が常陸からの途上で休憩、珍しい構造の社域、六摂社
[住所]静岡県浜松市西区呉松町3586
[電話]-
曽許乃御立神社(そこのみたちじんじゃ、曾許乃御立神社)は、静岡県浜松市西区呉松町にある神社。「鹿島さん」として親しまれる鹿島大明神。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』遠江国敷智郡にある「曽許乃御立神社」「賀久留神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
奈良時代の神護景雲元年(767年)、創立と伝わる。武甕槌命が常陸国を出て、大和国に向かう途中、遠江国を通過する際、根本山に休んだ。
当時の人はこれを敬い、社殿を建立した。これが当社の創始となる。
また、武甕槌命に従って来た六神も、呉松神明・伊左地熊野・和地琴宮・佐浜貴船・平松八幡・和田西宮に祀ったという。
これがいわゆる当社の六摂社。字鹿島原の呉松神明は明治7年(1874年)に呉松町の津嶋神社に合祀されたが、現在でも、この六摂社めぐりが行われる。
社名に関しては諸説あり、豪族の居館である舘(たち)、鹿島立ち、御祭神が十掬剣を突き立てた、などがある。
平安時代の貞観4年(862年)、曾許乃御立神に従五位下を授くとある。
今川家からは130石の寄進があり、江戸時代になると、朱印高は10石となった。また、大澤右京太夫は玄米33俵を毎年奉納したという。
明治6年(1873年)、郷社に列し、昭和5年(1930年)には県社に昇格した。
参道は、一旦下り、再び上っていく。下った所には御手洗池がある。その右手には女坂がある。
途中には御神木があり、右に曲がって拝殿に到着する。いわゆる下りの宮ではないが、あまり例のない社域構造といえる。
境内社に、六社神社・稲荷社・天満宮・日吉神社・八柱神社・津島神社・若宮社がある。
なお、式内社「曽許乃御立神社」の論社は他に、市内西区舘山寺町の愛宕神社があり、式内社「賀久留神社」の論社は他に、やはり西区神ヶ谷町の式内同名神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、交渉成功、出世開運
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曽許乃御立神社(そこのみたちじんじゃ、曾許乃御立神社)は、静岡県浜松市西区呉松町にある神社。「鹿島さん」として親しまれる鹿島大明神。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』遠江国敷智郡にある「曽許乃御立神社」「賀久留神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
奈良時代の神護景雲元年(767年)、創立と伝わる。武甕槌命が常陸国を出て、大和国に向かう途中、遠江国を通過する際、根本山に休んだ。
当時の人はこれを敬い、社殿を建立した。これが当社の創始となる。
また、武甕槌命に従って来た六神も、呉松神明・伊左地熊野・和地琴宮・佐浜貴船・平松八幡・和田西宮に祀ったという。
これがいわゆる当社の六摂社。字鹿島原の呉松神明は明治7年(1874年)に呉松町の津嶋神社に合祀されたが、現在でも、この六摂社めぐりが行われる。
社名に関しては諸説あり、豪族の居館である舘(たち)、鹿島立ち、御祭神が十掬剣を突き立てた、などがある。
平安時代の貞観4年(862年)、曾許乃御立神に従五位下を授くとある。
今川家からは130石の寄進があり、江戸時代になると、朱印高は10石となった。また、大澤右京太夫は玄米33俵を毎年奉納したという。
明治6年(1873年)、郷社に列し、昭和5年(1930年)には県社に昇格した。
参道は、一旦下り、再び上っていく。下った所には御手洗池がある。その右手には女坂がある。
途中には御神木があり、右に曲がって拝殿に到着する。いわゆる下りの宮ではないが、あまり例のない社域構造といえる。
境内社に、六社神社・稲荷社・天満宮・日吉神社・八柱神社・津島神社・若宮社がある。
なお、式内社「曽許乃御立神社」の論社は他に、市内西区舘山寺町の愛宕神社があり、式内社「賀久留神社」の論社は他に、やはり西区神ヶ谷町の式内同名神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、交渉成功、出世開運
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