鹿熊城主椎名家の崇敬、江戸後期に式内論争、2種の狛犬
[住所]富山県滑川市柳原1706
[電話]076-475-1250
櫟原神社(いちはらじんじゃ)は、富山県滑川市柳原にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「櫟原神社(越中国・新川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は須佐之男命。越中新川郡の一族で、室町時代に分郡守護代を務めた鹿熊城主椎名家の崇敬が篤く、社領などの寄進があったという。
鎮座地は、かつて櫟原村と称していたが、社名にはばかって、柳原と改称したという。このことは、もう一つの式内論社である神明町の同名神社の明細帳にも残っている。
神明町の同名神社は、往古からの大社で、当地の柳原も、かつては宮地の一部であったためと説明。それに従えば、当社は神明町の分祀とも考えられる。
当社が式内社を主張するのは江戸時代後期の文化年間(1804年-1818年)以降のことともされる。
それ以前の文書には、当地の神社として「冨士大権現・薬師地神・地蔵八幡」が記録されているという。
これらの神社は現在、当社の境内社として存在している。
ともかく、式内論争が両社間で起き、藩政時代は、両社とも旦尾氏が神職を勤めていたが、このトラブルによって、当社の宮司は変わったという。
明治23年(1890年)、式川の洪水で離散した梅原村天満宮(天満大神)を合祀した。現在の拝殿は、大正15年(1926年)の再建。
本殿の前の左右には古く威厳のよい狛犬が安置され、他に珍しくうなだれたようにみえる大正3年(1914年)3月建立の狛犬もある。
当社の境内社に、先に触れたものも含め、住吉社・八幡社・富士社・薬師社・稲荷社・道祖神があるという。道祖神は所在不明ともされる。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、学業・受験合格

【関連記事】
・富山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、富山県に鎮座している神社の一覧
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櫟原神社(いちはらじんじゃ)は、富山県滑川市柳原にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「櫟原神社(越中国・新川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は須佐之男命。越中新川郡の一族で、室町時代に分郡守護代を務めた鹿熊城主椎名家の崇敬が篤く、社領などの寄進があったという。
鎮座地は、かつて櫟原村と称していたが、社名にはばかって、柳原と改称したという。このことは、もう一つの式内論社である神明町の同名神社の明細帳にも残っている。
神明町の同名神社は、往古からの大社で、当地の柳原も、かつては宮地の一部であったためと説明。それに従えば、当社は神明町の分祀とも考えられる。
当社が式内社を主張するのは江戸時代後期の文化年間(1804年-1818年)以降のことともされる。
それ以前の文書には、当地の神社として「冨士大権現・薬師地神・地蔵八幡」が記録されているという。
これらの神社は現在、当社の境内社として存在している。
ともかく、式内論争が両社間で起き、藩政時代は、両社とも旦尾氏が神職を勤めていたが、このトラブルによって、当社の宮司は変わったという。
明治23年(1890年)、式川の洪水で離散した梅原村天満宮(天満大神)を合祀した。現在の拝殿は、大正15年(1926年)の再建。
本殿の前の左右には古く威厳のよい狛犬が安置され、他に珍しくうなだれたようにみえる大正3年(1914年)3月建立の狛犬もある。
当社の境内社に、先に触れたものも含め、住吉社・八幡社・富士社・薬師社・稲荷社・道祖神があるという。道祖神は所在不明ともされる。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、学業・受験合格

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