成務朝の勧請、飛鳥期の創建、往古は社領1000石の大社
[住所]富山県滑川市神明1177
[電話]-
櫟原神社(いちはらじんじゃ)は、富山県滑川市神明にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「櫟原神社(越中国・新川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
創祀年代には諸説ある。飛鳥時代の大宝元年(701年)とも、第13代成務天皇の御宇の勧請で、大宝元年の再建とも。
通称は東の宮。当社の南西1キロほどの地に加積雪嶋神社があり、これを西の宮と称したことに対するもの。
立山山麓の芦弁寺の奥に伊知悲原という地があり、ここが当社の旧地ではないかとする説がある。
御祭神は素盞嗚尊。天照皇大神・菅原大神・市大稲日命を配祀する。長らく神明社と呼ばれ、現在の地名もその名残か。
他にも、木花之開耶姫命・倭得玉彦命(市大稲日命と同一神)を御祭神とするという資料もあるという。滑川社とも呼ばれたという。
辰尾村・中川原村・滑川の3ヶ所、1000石あまりが社領だったとも伝わり、相当な大社だったとされる。
しかし、戦国時代に社殿は焼亡し、社領も喪失したという。天正10年(1582年)6月、上杉景勝が制札を掲げたと伝わる。
明治6年(1873年)8月、県社に列した。大正4年(1915年)、静岩神社(大己貴命・少彦名命)を合祀したという。
例祭は、6月15-17日が春季例大祭で、9月15日が秋季例大祭。境内社に稲荷社がある。本殿の後方には琴比羅社があるが、境内社ではなく、別の神社とされる。
境内脇には道祖神が祀られている。
なお、式内社「櫟原神社」の論社は他に、市内柳原に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
厄災除け、開運招福、安産
【関連記事】
・富山県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・富山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、富山県に鎮座している神社の一覧
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櫟原神社(いちはらじんじゃ)は、富山県滑川市神明にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「櫟原神社(越中国・新川郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
創祀年代には諸説ある。飛鳥時代の大宝元年(701年)とも、第13代成務天皇の御宇の勧請で、大宝元年の再建とも。
通称は東の宮。当社の南西1キロほどの地に加積雪嶋神社があり、これを西の宮と称したことに対するもの。
立山山麓の芦弁寺の奥に伊知悲原という地があり、ここが当社の旧地ではないかとする説がある。
御祭神は素盞嗚尊。天照皇大神・菅原大神・市大稲日命を配祀する。長らく神明社と呼ばれ、現在の地名もその名残か。
他にも、木花之開耶姫命・倭得玉彦命(市大稲日命と同一神)を御祭神とするという資料もあるという。滑川社とも呼ばれたという。
辰尾村・中川原村・滑川の3ヶ所、1000石あまりが社領だったとも伝わり、相当な大社だったとされる。
しかし、戦国時代に社殿は焼亡し、社領も喪失したという。天正10年(1582年)6月、上杉景勝が制札を掲げたと伝わる。
明治6年(1873年)8月、県社に列した。大正4年(1915年)、静岩神社(大己貴命・少彦名命)を合祀したという。
例祭は、6月15-17日が春季例大祭で、9月15日が秋季例大祭。境内社に稲荷社がある。本殿の後方には琴比羅社があるが、境内社ではなく、別の神社とされる。
境内脇には道祖神が祀られている。
なお、式内社「櫟原神社」の論社は他に、市内柳原に当社および式内同名神社がある。
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