継体皇子を祀る、丸岡城の南麓、歴代城主から崇敬、タブの大木
国神神社 福井県坂井市丸岡町石城戸町1-2
[住所]福井県坂井市丸岡町石城戸町1-2
[電話]0776-66-1277

国神神社(くにつかみじんじゃ/くにがみじんじゃ)は、福井県坂井市丸岡町石城戸町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「国神神社(越前国・坂井郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創祀・創建年代は不詳。御祭神は椀子皇子。第26代継体天皇の皇子で、『古事記』にも丸高王と記載される。三国公・三国真人の祖。

椀子皇子は磨留古乎加、現在の丸岡で生まれ、即位前の継体天皇とともに越前国の開発に尽力し、継体天皇が去った後も当地に留まり開発を続け、地主神になったという。

椀子皇子の産湯の水は、乎加(丘)の東の麓の清水を用い、御胎衣を乎加(丘)の南に埋めて神明宮としたのが当社の起源。

『越前国神名帳』に「従四位 國神」とある。当初は国兼村に鎮座したが、その後、丸岡城(丸岡の山)付近に遷座した。

戦国時代の天正4年(1576年)、柴田勝豊が丸岡城を築城する際に南麓にあたる現在地に再遷座し、社領が寄進された。

その後も丸岡城の城主となった安居家、青山家、今村家、本多家から崇敬、庇護された。

江戸時代前期の元禄8年(1692年)以降は丸岡藩主となった有馬家が社領50石を安堵し、社殿の造営や改修などは藩費で賄われた。

近世を通じて神明宮などと呼ばれていたが、明治維新後に旧社号に復し、明治7年(1874年)に県社に列した。

明治19年(1886年)、第29代欽明天皇の御代に創建された式内社である高向神社(振姫命・応神天皇)を合祀した。

ちなみに、振姫命は『古事記』に記載はないものの、一般的に当社主祭神の父である継体天皇の母。なお、高向神社は後に旧地に復興している。

明治41年(1908年)に神饌幣帛料供進社に指定された。

昭和23年(1948年)の福井大震災で大破し、その後再建された際、社殿の向きが変更された。また、霞城神社(有馬晴信)を合祀した。

樹齢数百年のスギやマツ、ケヤキ、カエデ、イチョウ、タブなどの大木が茂っていたが、大震災でやはりほとんどが失われた。

その中で、北西角にタブの大木だけが焼け残り、現在でも、路肩に御神木として、しめなわを張られて祀られている。市の天然記念物。

例祭は春季祭礼が4月15日-17日、秋季祭礼が10月15日-17日。近隣より多くの人が集まり、賑わいを見せるという。

境内社に稲荷社がある。

【ご利益】
事業成功、産業振興、地域安全、家内安全
国神神社 福井県坂井市丸岡町石城戸町
【関連記事】
福井県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
国神神社 福井県坂井市丸岡町石城戸町の御朱印