武烈朝に諏訪を勧請して創祀、室町期本殿が重文、「稲荷の大杉」
[住所]福井県今立郡池田町稲荷13-1
[電話]0778-44-6365
須波阿湏疑神社(すはあずきじんじゃ、須波阿須疑神社)は、福井県今立郡池田町稲荷にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「須波阿須疑神社三座(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
創建は第25代武烈天皇の御代、信濃国一宮である諏訪大社の御分霊を勧請したのが始まり。
その後、地元神で、あづき神、つまり小豆の生産神である大野手比売命を合祀し、奈良時代の霊亀2年(716年)には倉稻魂命(稲荷神)を合祀した。
現在までに、正殿が倉稻魂命、右殿が建御名方命、左殿が大野手比売命で、太田命・大己貴命を配祀する。池田郷48ヶ村の惣社として信仰を集め、歴代領主にも崇敬された。
中世の戦乱により一時衰退したが、延徳3年(1491年)、朝倉貞景の家臣池田時忠が再興し、社殿を造営した。これが現在の本殿である。
三間社流造、桁行3間4.88メートル、梁間2間3.15メートル、檜皮葺、向拝3間。室町期、県内最古の神社本殿建築で、国の重要文化財に指定されている。
しかし、安土桃山時代の天正2年(1574年)、一向一揆によって本殿を残して多くの社殿、社宝、記録などを焼失。庇護者だった朝倉氏も滅亡したため、再び衰退する。
文禄4年(1595年)から再興され、慶長5年(1600年)には拝殿が再建された。その後の領主からは修理・改修のごとに白銀が寄進された。
現在の拝殿は、江戸時代前期の元禄2年(1689年)に建てられたもので、入母屋、銅板葺(元茅葺)、平入、桁行8間、梁間5.5間、外壁は素木板張り。
この拝殿は、能舞台にもなっており、大正5年(1917年)までは、ここで能が奉納されていた。江戸前期とこちらも古いが、町の文化財に7されている。
江戸時代後期の嘉永3年(1850年)、現在に残る神門が建立された。三間一戸、切妻、銅板葺(元茅葺)、八脚楼門形式。
外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、木部は弁柄色、神仏習合の名残が見られる。江戸後期の楼門建築の遺構として貴重で、町の文化財に指定されている。
明治6年(1873年)、県社に列し、明治41年(1908年)には神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は6月10日。
社宝である能面「天神」は元亀2年(1571年)に野尻出身の千代熊丸が奉納したもので、国の重要美術品に選定されている。
御神木である「稲荷の大杉」は、本殿裏山中腹にあり、伊弉諾尊・伊弉冊尊2柱の神を祀り、荒魂大杉大明神と称される。
推定樹齢500年、樹高40メートル、目通り幹周8.6メートル、根回り11.7メートル、北陸地方を代表する大木で、県の天然記念物。
なお、式内社「須波阿須疑神社三座」の論社は他に、越前市の南中町の須波阿津疑神社、池泉町の味真野神社、五分市町の諏訪神社がある。
【ご利益】
商売繁盛、事業成功、武運長久・勝運
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[電話]0778-44-6365
須波阿湏疑神社(すはあずきじんじゃ、須波阿須疑神社)は、福井県今立郡池田町稲荷にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「須波阿須疑神社三座(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
創建は第25代武烈天皇の御代、信濃国一宮である諏訪大社の御分霊を勧請したのが始まり。
その後、地元神で、あづき神、つまり小豆の生産神である大野手比売命を合祀し、奈良時代の霊亀2年(716年)には倉稻魂命(稲荷神)を合祀した。
現在までに、正殿が倉稻魂命、右殿が建御名方命、左殿が大野手比売命で、太田命・大己貴命を配祀する。池田郷48ヶ村の惣社として信仰を集め、歴代領主にも崇敬された。
中世の戦乱により一時衰退したが、延徳3年(1491年)、朝倉貞景の家臣池田時忠が再興し、社殿を造営した。これが現在の本殿である。
三間社流造、桁行3間4.88メートル、梁間2間3.15メートル、檜皮葺、向拝3間。室町期、県内最古の神社本殿建築で、国の重要文化財に指定されている。
しかし、安土桃山時代の天正2年(1574年)、一向一揆によって本殿を残して多くの社殿、社宝、記録などを焼失。庇護者だった朝倉氏も滅亡したため、再び衰退する。
文禄4年(1595年)から再興され、慶長5年(1600年)には拝殿が再建された。その後の領主からは修理・改修のごとに白銀が寄進された。
現在の拝殿は、江戸時代前期の元禄2年(1689年)に建てられたもので、入母屋、銅板葺(元茅葺)、平入、桁行8間、梁間5.5間、外壁は素木板張り。
この拝殿は、能舞台にもなっており、大正5年(1917年)までは、ここで能が奉納されていた。江戸前期とこちらも古いが、町の文化財に7されている。
江戸時代後期の嘉永3年(1850年)、現在に残る神門が建立された。三間一戸、切妻、銅板葺(元茅葺)、八脚楼門形式。
外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、木部は弁柄色、神仏習合の名残が見られる。江戸後期の楼門建築の遺構として貴重で、町の文化財に指定されている。
明治6年(1873年)、県社に列し、明治41年(1908年)には神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は6月10日。
社宝である能面「天神」は元亀2年(1571年)に野尻出身の千代熊丸が奉納したもので、国の重要美術品に選定されている。
御神木である「稲荷の大杉」は、本殿裏山中腹にあり、伊弉諾尊・伊弉冊尊2柱の神を祀り、荒魂大杉大明神と称される。
推定樹齢500年、樹高40メートル、目通り幹周8.6メートル、根回り11.7メートル、北陸地方を代表する大木で、県の天然記念物。
なお、式内社「須波阿須疑神社三座」の論社は他に、越前市の南中町の須波阿津疑神社、池泉町の味真野神社、五分市町の諏訪神社がある。
【ご利益】
商売繁盛、事業成功、武運長久・勝運
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