大山御板神社の神に助けられた大彦命を勅祭、江戸期の本殿と鳥居
[住所]福井県鯖江市舟津町1-2-32
[電話]0778-51-0966
舟津神社(ふなつじんじゃ)は、福井県鯖江市舟津町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』越前国今立郡にある「丹津神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
また、丹生郡の式内社「大山御板神社」の論社を合祀。背後には国の史跡に指定されている王山古墳群がある。かつて境内の内外は「舟津八景」として知られた。
社伝によれば、第10代崇神天皇の御代、勅によって北陸道へ遣わされた大彦命は、淡海から角鹿の津に赴き、八田という地に到着した。
そこの舟場から乗船して東進し、途中「塩垂の長」という長老の教えを受け、安伊奴彦の先導により、深江という地に着いた。
舟を付けたので舟津といい、その地の山に登ると先に消え去った長老に再び合ったので逢山=王山と呼ばれるようになった。
この長老こそ、猿田彦命であり、その神示によりこの神を三太(御板)の神として、山上に祀ったという。
これが大山御板神社の創祀である。この時、副将軍忍男彦を神主に定め、これが社司橋本家の祖先となる。
第13代成務天皇4年、大山御板神社に第8代孝元天皇が合祀され、大彦命が舟津の地に勅祭された。
これが舟津神社の創祀である。第26代継体天皇元年に両社の神殿が再建され、王山山上の大山御板神社を上の宮、舟津神社を下の宮と称した。
平安時代の天元年間(978年-983年)、下の宮の火災により、上の宮の東境に小社を建てて遷宮。
寛仁3年(1019年)、下の宮が再度火災、そこで、下の宮は上の宮に合祀された。
『延喜式神名帳』では両社が丹生郡・今立郡に分れて記載されているが、これは両郡の郡境に比定される叔羅川(現 日野川)が往古は王山の東を流れていたことによるという。
室町時代の応永23年(1416年)、社殿の老朽化により下の宮を再建し、下の宮の相殿に上の宮を祀り、正面に大彦命、左座に猿田彦命、右座に孝元天皇が祀られた。
中世には守護斯波氏及び朝倉氏の崇敬を受けた。しかし、天正4年(1576年)、柴田勝家により、社領が没収されたという。
近世には社地は福井領だったが、享保6年(1721年)、間部氏の鯖江入部以後はその祈願所ともなり、鯖江藩の産土神としても崇敬された。
江戸時代中期の寛保2年(1742年)、王山の東200メートルの地から、東麓の現在地に遷座した。
古社地は現社地の東方300メートルにあり、田地の中に小塚が残り、古宮と称すという。
赤鳥居は安永3年(1774年)5月、鯖江藩主間部詮茂が奉納したもの。木造朱塗の明神鳥居で、高さ4.2メートル、柱中心間隔3.4メートル。
大鳥居は、江戸時代後期の寛政12年(1800年)再建の木造両部鳥居。枠差鳥居ともいう。総高6.58メートル、柱中心間隔4.77メートル。
現在の本殿は文化13年(1816年)再建釿立、文政3年(1820年)竣功したもの。棟札2枚の他に450点に及ぶ再建・修理関係文書が伝存する。
この2基の鳥居と本殿はいずれも県の文化財に指定されている。社宝に市指定文化財の太皷樽などがある。
明治8年(1875年)5月5日、県社に列した。明治14年(1881年)4月、県により境内へ禁制札が建設された。
現在は素佐嗚命も配祀する。例祭は9月20日。春季例祭が4月17日。境内社に八幡神社がある。
拝殿は、天保4年(1833年)再建の割拝殿だったが、平成3年(1992年)9月27日に襲来した台風19号により倒壊した。
なお、式内社「大山御板神社」の論社は他に、市内鳥井町の春日神社、福井市片粕町の八幡神社、越前市の若竹町と三ツ口町の神明神社、丹生郡越前町の大洗磯崎神社、越知神社がある。
【ご利益】
事業成功、出世開運、武運長久・勝運
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[電話]0778-51-0966
舟津神社(ふなつじんじゃ)は、福井県鯖江市舟津町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』越前国今立郡にある「丹津神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
また、丹生郡の式内社「大山御板神社」の論社を合祀。背後には国の史跡に指定されている王山古墳群がある。かつて境内の内外は「舟津八景」として知られた。
社伝によれば、第10代崇神天皇の御代、勅によって北陸道へ遣わされた大彦命は、淡海から角鹿の津に赴き、八田という地に到着した。
そこの舟場から乗船して東進し、途中「塩垂の長」という長老の教えを受け、安伊奴彦の先導により、深江という地に着いた。
舟を付けたので舟津といい、その地の山に登ると先に消え去った長老に再び合ったので逢山=王山と呼ばれるようになった。
この長老こそ、猿田彦命であり、その神示によりこの神を三太(御板)の神として、山上に祀ったという。
これが大山御板神社の創祀である。この時、副将軍忍男彦を神主に定め、これが社司橋本家の祖先となる。
第13代成務天皇4年、大山御板神社に第8代孝元天皇が合祀され、大彦命が舟津の地に勅祭された。
これが舟津神社の創祀である。第26代継体天皇元年に両社の神殿が再建され、王山山上の大山御板神社を上の宮、舟津神社を下の宮と称した。
平安時代の天元年間(978年-983年)、下の宮の火災により、上の宮の東境に小社を建てて遷宮。
寛仁3年(1019年)、下の宮が再度火災、そこで、下の宮は上の宮に合祀された。
『延喜式神名帳』では両社が丹生郡・今立郡に分れて記載されているが、これは両郡の郡境に比定される叔羅川(現 日野川)が往古は王山の東を流れていたことによるという。
室町時代の応永23年(1416年)、社殿の老朽化により下の宮を再建し、下の宮の相殿に上の宮を祀り、正面に大彦命、左座に猿田彦命、右座に孝元天皇が祀られた。
中世には守護斯波氏及び朝倉氏の崇敬を受けた。しかし、天正4年(1576年)、柴田勝家により、社領が没収されたという。
近世には社地は福井領だったが、享保6年(1721年)、間部氏の鯖江入部以後はその祈願所ともなり、鯖江藩の産土神としても崇敬された。
江戸時代中期の寛保2年(1742年)、王山の東200メートルの地から、東麓の現在地に遷座した。
古社地は現社地の東方300メートルにあり、田地の中に小塚が残り、古宮と称すという。
赤鳥居は安永3年(1774年)5月、鯖江藩主間部詮茂が奉納したもの。木造朱塗の明神鳥居で、高さ4.2メートル、柱中心間隔3.4メートル。
大鳥居は、江戸時代後期の寛政12年(1800年)再建の木造両部鳥居。枠差鳥居ともいう。総高6.58メートル、柱中心間隔4.77メートル。
現在の本殿は文化13年(1816年)再建釿立、文政3年(1820年)竣功したもの。棟札2枚の他に450点に及ぶ再建・修理関係文書が伝存する。
この2基の鳥居と本殿はいずれも県の文化財に指定されている。社宝に市指定文化財の太皷樽などがある。
明治8年(1875年)5月5日、県社に列した。明治14年(1881年)4月、県により境内へ禁制札が建設された。
現在は素佐嗚命も配祀する。例祭は9月20日。春季例祭が4月17日。境内社に八幡神社がある。
拝殿は、天保4年(1833年)再建の割拝殿だったが、平成3年(1992年)9月27日に襲来した台風19号により倒壊した。
なお、式内社「大山御板神社」の論社は他に、市内鳥井町の春日神社、福井市片粕町の八幡神社、越前市の若竹町と三ツ口町の神明神社、丹生郡越前町の大洗磯崎神社、越知神社がある。
【ご利益】
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