岸和田城三ノ丸、9月に岸和田祭、急坂を一気に駆け上がるだんじり
[住所]大阪府岸和田市岸城町11-30
[電話]072-422-0686

岸城神社(きしきじんじゃ)は、大阪府岸和田市岸城町にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

南北朝時代の正平17年(1362年)、隣村の長が老親の病平癒を願って京都感神院(現 八坂神社)を勧請したのが始まり。牛頭天王社(素盞嗚尊)として崇敬された。

安土桃山時代の慶長3年(1598年)、小出秀政が岸和田城の普請を完成させると、牛頭天王社を勧請、あわせて郷内にあった八幡神(品陀別尊)を併祀した。

岸和田城三ノ丸に鎮座。岸和田城主になった松平康重が、江戸時代前期の寛永年間(1624年-1643年)に新たな社殿を建立した。

その際、春日大明神・愛宕大権現・天満天神の三社を勧請したという。岡部宣勝も、万治4年(1661年)に社殿を修復、彫物などで美しく飾り立てたという。

氏子も宮座を組み祭祀を務め、宮寺だった日光寺では、「三郷(村・町・浜)の寄合」が開かれ、当社は岸和田城下民の拠り所だった。

「御宮」の名称で親しまれた牛頭天王社と八幡社を、明治初年(1868年)に合祀して現社号に改称。現本殿にあった日光寺は廃寺となった。

また、同時に城内の神明門付近にあった神明社(神照太小社。天照皇大神)の社殿を現境内に移した。

この神明社はもともと岸和田村産土神で、平成20年(2008年)には、社殿改築を期に主祭神として増祀された。

明治6年(1872年)、郷社に列し、明治29年(1896年)には旧藩民・氏子の奉賛により現在の広大な境内が整備された。

明治40年(1907年)、神餞幣帛料供進社に指定され、大正4年(1915年)、大工町の蛭子神社、大北町の琴平社を合祀した。

これより、現在の20ヶ町を氏地とする産土神社となった。平成20年には社殿を改築し、平成23年(2011年)9月15日には鎮座650年大祭式が挙行された。

例祭はもとは旧暦8月13日。現在は9月15日。前日の9月14日には宵宮祭献湯式を行い、例大祭の無事執行を祈願する。

例祭の神賑行事は岸和田祭と呼ばれ、現在は敬老の日の前日と前々日に開催される。宵祭の1日目は、だんじりを午前6時に各町内地車庫から曳き出し、午後からパレードが行われる。

本祭の2日目は、岸城神社氏子20ヶ町中、だんじり所有の15ヶ町が宮入り式を行う。毎年9月1日に「三郷の寄合い」のくじ引きにより宮入・パレードの順が決定する。

だんじりは市役所前の急な「こなから坂」を一気に駆け上がり、「やりまわし」をして、岸和田城を周回して当社に曳行される。

いわゆる岸和田だんじり祭り。もともとは三の丸神社で「城入り」が行われていたが、現在は当社がメインで行われている。

現在までに、当社の境内末社には七間社と岸和田戎神社(蛭子神事代主神)がある。岸和田戎神社では、1月9日から1月11日に十日戎大祭がある。

七間社は、住吉神社(上筒之男命中筒之男命底筒之男命息長帯姫命)、琴平神社(手力男命大物主命・天神地祇・大国主神・八重事代主命)、春日神社(建御雷命布都主命天児屋根命・比咩大神)、菅原神社(菅原道真公)、日吉神社(大山咋神)、愛宕神社(迦具土神)、厳島神社(市寸島姫命)、稲荷神社(倉稲魂神)。

【ご利益】
厄災除け、安産、交通安全(公式HP
岸城神社 大阪府岸和田市岸城町
【関連記事】
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧