藤原氏にあやかりたいと常陸を勧請、桑名宗社にも協力
[住所]三重県桑名市桑部817
[電話]0594-22-1224
長谷神社(ながたにじんじゃ)は、三重県桑名市桑部にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「長谷神社(伊勢国・桑名郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
奈良時代、称徳天皇の神護景雲元年(767年)、常陸国鹿島神宮の御祭神を勧請し、桑部村の地、谷の奥にあたる当地、長谷に鎮座した。
常陸国から大和国への遷座の際、当地に立ち寄った使者が、藤原氏の興隆にあやかりたい、と、当地の有力者の懇願による勧請だったという。
御祭神は建御雷男之神。平安時代、『日本三代実録』貞観元年(859年)正月に、正六位上から従五位下への神階の記述がある。
貞観8年(867年)8月14日には正六位上から從五位下へ、貞観18年(877年)閏4月7日には從五位上に進階した。
鎌倉時代の正安年間(1299年-1302年)、現在地に遷座。一説に、御祭神を衝立船戸神であるとし、その理由は、町屋川の舟運と関連があるという。
しかし、船運が盛んになった後世に祀られることはあるとしても、当初は建御雷男之神を祀ったと考える方が正しいと思われる。
明治初年に至るまで、桑名春日神社(現 桑名宗社)の神事において、桑部の人たちが招聘され、当社の協力を得て行われたという。
明治41年(1908年)、能部神社(武甕槌男命)、須賀神社(素戔嗚命)、春日神社(武甕槌男命)を合祀した。
昭和56年(1981年)には春日神社を東金井字西谷に、昭和57年(1982年)に能部神社を能部字南貝戸に分祀した。
なお、『延喜式神名帳』伊勢国には朝明郡にも「長谷神社」が記載されており、四日市市羽津の志氐神社に合祀された神社に比定されている。
【ご利益】
交通安全、地域安全、家内安全
【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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長谷神社(ながたにじんじゃ)は、三重県桑名市桑部にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「長谷神社(伊勢国・桑名郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
奈良時代、称徳天皇の神護景雲元年(767年)、常陸国鹿島神宮の御祭神を勧請し、桑部村の地、谷の奥にあたる当地、長谷に鎮座した。
常陸国から大和国への遷座の際、当地に立ち寄った使者が、藤原氏の興隆にあやかりたい、と、当地の有力者の懇願による勧請だったという。
御祭神は建御雷男之神。平安時代、『日本三代実録』貞観元年(859年)正月に、正六位上から従五位下への神階の記述がある。
貞観8年(867年)8月14日には正六位上から從五位下へ、貞観18年(877年)閏4月7日には從五位上に進階した。
鎌倉時代の正安年間(1299年-1302年)、現在地に遷座。一説に、御祭神を衝立船戸神であるとし、その理由は、町屋川の舟運と関連があるという。
しかし、船運が盛んになった後世に祀られることはあるとしても、当初は建御雷男之神を祀ったと考える方が正しいと思われる。
明治初年に至るまで、桑名春日神社(現 桑名宗社)の神事において、桑部の人たちが招聘され、当社の協力を得て行われたという。
明治41年(1908年)、能部神社(武甕槌男命)、須賀神社(素戔嗚命)、春日神社(武甕槌男命)を合祀した。
昭和56年(1981年)には春日神社を東金井字西谷に、昭和57年(1982年)に能部神社を能部字南貝戸に分祀した。
なお、『延喜式神名帳』伊勢国には朝明郡にも「長谷神社」が記載されており、四日市市羽津の志氐神社に合祀された神社に比定されている。
【ご利益】
交通安全、地域安全、家内安全
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