垂仁朝の創建、社地からは縄文・弥生土器、豊臣秀吉が参詣
[住所]三重県いなべ市大安町門前603
[電話]0594-77-1053
鳥取神社(とっとりじんじゃ)は、三重県いなべ市大安町門前にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「鳥取神社(伊勢国・員弁郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社伝によれば、第11代垂仁天皇24年の創建だという。社地からは多くの縄文・弥生土器などが出土しているという。
御祭神は天湯河桁命(天湯河板挙命)で、角凝魂命の三世孫であり、鳥取連氏の祖。
同じく員弁郡には鳥取山田神社があり、また伊勢国のこの地方には鳥取氏ともゆかりのある物部系氏族の祖神を祀る式内社が多い。
ただ、その後、戦乱により、古文書などを紛失しており、由緒は不詳。安土桃山時代の時代の元亀年間(1570年-1573年)に大破したと伝わる。
別当は大雄山光蓮寺。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が桑名に滝川氏を攻めた際、光蓮寺に陣を敷いた。
その際、当社に参詣して戦捷を祈り、神酒料として100文を奉納したと伝えられる。近世には鳥取大明神と称した。
現在の本殿は、幕末の安政2年(1855年)8月に再建したもの。拝殿は万延元年(1860)3月の再建。明治6年(1873年)3月、村社に列した。
明治42年(1909年)、稲荷神社・厳島神社・山神社を合祀した。現在までに、天照大御神・品陀和気命・宇迦之御魂神・市杵島姫命・大山祇神を合祀している。
昭和51年(1976年)、神社会館が建設された。例祭は春祭が3月初旬、秋祭が体育の日。
なお、式内社「鳥取神社」の論社は他に、東員町鳥取に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、事業成功、出世開運
【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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鳥取神社(とっとりじんじゃ)は、三重県いなべ市大安町門前にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「鳥取神社(伊勢国・員弁郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社伝によれば、第11代垂仁天皇24年の創建だという。社地からは多くの縄文・弥生土器などが出土しているという。
御祭神は天湯河桁命(天湯河板挙命)で、角凝魂命の三世孫であり、鳥取連氏の祖。
同じく員弁郡には鳥取山田神社があり、また伊勢国のこの地方には鳥取氏ともゆかりのある物部系氏族の祖神を祀る式内社が多い。
ただ、その後、戦乱により、古文書などを紛失しており、由緒は不詳。安土桃山時代の時代の元亀年間(1570年-1573年)に大破したと伝わる。
別当は大雄山光蓮寺。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が桑名に滝川氏を攻めた際、光蓮寺に陣を敷いた。
その際、当社に参詣して戦捷を祈り、神酒料として100文を奉納したと伝えられる。近世には鳥取大明神と称した。
現在の本殿は、幕末の安政2年(1855年)8月に再建したもの。拝殿は万延元年(1860)3月の再建。明治6年(1873年)3月、村社に列した。
明治42年(1909年)、稲荷神社・厳島神社・山神社を合祀した。現在までに、天照大御神・品陀和気命・宇迦之御魂神・市杵島姫命・大山祇神を合祀している。
昭和51年(1976年)、神社会館が建設された。例祭は春祭が3月初旬、秋祭が体育の日。
なお、式内社「鳥取神社」の論社は他に、東員町鳥取に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
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